旧目白通り
旧目白通り(きゅうめじろどおり)は、目白通りの旧道を指す俗称である。来歴の異なるいくつかの道がある。
- 目白通り・江戸川橋交差点(文京区)から西落合一丁目交差点(新宿区)
- 東京都道8号千代田練馬田無線のこの区間には東京都市計画道路放射第7号線として整備された新目白通りが並行しており、これに対照させて「旧目白通り」と呼ぶことがある。公的にはあくまで「目白通り」である。
- 目白坂・江戸川公園前交差点(文京区)からホテル椿山荘東京付近
- 目白通りのこの区間は明治20年代に開かれたもので目白新坂という呼び名があるが、それに対して江戸時代から続く目白坂を「旧目白通り」と呼ぶことがある。[1]
- 南長崎通り・目白警察署南長崎交番付近(豊島区)から千川通り接続点
- 新青梅街道・西落合一丁目交差点(新宿区)から北原交差点(西東京市)
- 都道8号線に「目白通り」と公的通称が付けられた(1962年)後、並行する区間は「新青梅街道」または「旧目白通り」と呼ばれていた[3]。上記(1)の道路の延長上にあたる。現在、公的には「新青梅街道」となっている。東京都道440号落合井草線・東京都道245号杉並田無線。
- 練馬主要区道81号線
- 都道8号線の旧道区間であり、通称道路名の改定(1984年)までは公的に「目白通り」だった[4]。
参考文献
編集- ^ 『大塚警察署小史 66年の歩み』警視庁大塚警察署、1973年、103-105頁。NDLJP:11037953/71。
- ^ 『豊島区民俗資料調査報告書』豊島区、1977年、63頁。NDLJP:9641385/38。
- ^ 「交通事故にメス 特定地域を決めて まず野方署管内」『読売新聞』1968年4月2日、朝刊13面。「野方署管内は、(中略)東西に新青梅街道(旧目白通り)四㌔、南北に環状七号線二㌔が走り、」
- ^ 『東京都通称道路名設定委員会報告書』東京都、1984年、101頁。全国書誌番号:85025420。