明宗 (高麗王)
高麗の国王
明宗(めいそう、1131年11月8日 - 1202年12月3日)は、第19代高麗王(在位:1170年 - 1197年)。姓は王、諱は晧、諡号は皇明光孝大王。妃は江陵公王温の娘、光靖王后金氏。
明宗 王晧 | |
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高麗 | |
第19代国王 | |
王朝 | 高麗 |
在位期間 | 1170年10月13日 - 1197年11月4日 |
諡号 | 皇明光孝大王 |
廟号 | 明宗 |
生年 |
天会9年10月17日 (1131年11月8日) |
没年 |
泰和2年11月17日 (1202年12月3日) |
父 | 仁宗 |
母 | 恭睿王后 |
王后・王配 | 光靖王后 |
妃嬪 | 下記参照 |
子女 | 下記参照 |
陵墓 | 智陵 |
経歴
編集1170年、武臣の鄭仲夫が反乱を起こし(庚寅の乱)、兄の毅宗を廃したため、擁立されることとなった。しかし明宗は鄭仲夫の傀儡に過ぎず、惰弱で統治能力も無かったために、鄭仲夫の後は慶大升・崔忠献らに実権を握られた。この間、明宗は武臣の暴走を止めることもできず、政治は乱れに乱れた。明宗は1197年、崔忠献によって廃され昌楽宮に幽閉され、5年後に生涯を終えた。