馬皇后(ばこうごう、40年 - 79年8月16日)は、後漢の第2代皇帝明帝の皇后。は徳、諡号としては、夫の諡を重ねて明徳皇后(めいとくこうごう)。武将として光武帝の漢朝再興に貢献した馬援の娘である。

馬皇后
後漢の皇后
在位 57年 - 75年

別称 明徳皇后(諡号
出生 建武16年(40年
死去 建初4年(79年8月16日
埋葬 顕節陵
配偶者 明帝
氏族 扶風馬氏
父親 馬援
立后前身位 貴人
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概要編集

13歳で当時皇太子であった劉荘(後の明帝)の後宮に入り、明帝即位後に貴人となる。陰皇太后らの推薦で皇后に立てられた。75年明帝が崩御し章帝が即位すると皇太后となった[1]

太宗長孫皇后光武帝の皇后陰麗華と共に、歴代でも屈指の賢夫人の一人とされ、政治に対しての介入は一切せず、親類が外戚として権力を振るうことを押さえ込んだ。ゆえに光武帝・明帝の2代には後漢朝の通弊である外戚禍がほとんどなかった。ただその馬皇后も一度だけ権力を私的に使ったことがある。前漢の時代に反乱を起こした一族の馬何羅のことを『漢書』に載せないで欲しいと班固に頼んだのだが、班固はこれを断った。ただし、『漢書』で馬何羅を「莽何羅」と記していることが多いのは、馬皇后らとの関係を隠蔽しようとしたからである可能性がある。

脚注編集

  1. ^ 岡崎 他、p. 264 - 265

参考文献編集

  • 岡崎由美・王敏 監修 『中国歴代皇帝人物事典』 河出書房新社、1999年