智異ノ山 正一郎(ちいのやま しょういちろう、1922年3月25日[1] - 没年不明)は、朝鮮慶尚南道(現在の大韓民国慶尚南道)出身[1][2]出羽海部屋に所属した[1][2]大相撲力士。本名廬 𤌤于(真中の字は火偏に夏)、日本名:豊川 正一郎[1][2]。最高位は西十両3枚目。身長195cm、体重131kg。得意技は右四つ、割り出し

経歴

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初土俵は1940年1月場所。1944年11月場所には新十両[1][2]。しかし、終戦直後の1945年11月場所には出場せず、そのまま引退して韓国に帰国、相撲の指導者を務めた。

日本統治下の『朝鮮』出身力士として、唯一十両昇進を果たした。

主な成績

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  • 通算成績:46勝20敗10休 勝率.697
  • 十両成績:9勝8敗10休 勝率.529
  • 現役在位:12場所
  • 十両在位:3場所

場所別成績

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智異ノ山 正一郎
春場所 夏場所 秋場所
1940年
(昭和15年)
(前相撲) (番付外) x
1941年
(昭和16年)
(前相撲) 東序ノ口28枚目
4–4 
x
1942年
(昭和17年)
西序二段70枚目
5–3 
東序二段11枚目
6–2 
x
1943年
(昭和18年)
東三段目38枚目
6–2 
西三段目2枚目
6–2 
x
1944年
(昭和19年)
東幕下29枚目
6–2 
東幕下7枚目
4–1 
東十両13枚目
5–5 
1945年
(昭和20年)
x 東十両7枚目
4–3 
西十両3枚目
引退
0–0–10
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 咸陽山(由来は出身地の咸陽郡から)
  • 智異ノ山(由来は出身地の智異山から)

脚注

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  1. ^ a b c d e 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、182頁。
  2. ^ a b c d 『昭和の大相撲 資料編』 314頁。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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外部リンク

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