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朝日山城(あさひやまじょう)は、出羽国飽海郡(現在の山形県酒田市北沢)にあった日本の城中世山城)跡。

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朝日山城
山形県
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 池田氏
築城年 南北朝時代
主な城主 池田氏
廃城年 安土桃山時代
遺構 曲輪・石垣・空堀など
指定文化財 なし
位置 北緯38度55分42.6秒
東経139度56分32.4秒
地図
朝日山城の位置(山形県内)
朝日山城
朝日山城

概要編集

酒田市東部に位置する生石矢流川に面する山地西端の山上、矢流川八幡宮の境内から東に登っていくと主郭部に至る。東端は2重の空堀枡形虎口が築かれている。本丸跡と思われる山頂は平坦になっており、庄内平野北部を一望できる。二の郭付近などに石垣の跡も見られるが損傷が激しく形状ははっきりしない。

治承・寿永の乱(源平合戦)以後、庄内地方に土着した池田彦太郎秀盛の後裔によって建武年間頃に築かれた山城であると言われ、以来、代々出羽池田氏が居城としていた。

安土桃山時代の城主池田讃岐守盛周の代に十五里ヶ原の戦いにおいて上杉家の家臣・本庄繁長に攻められ、落城した(朝日山城の戦い)。

逸話編集

南北朝時代、朝日山城の麓を流れる川をはさんで、武士たちが矢をうち合って戦争をしたという。戦いの後、川下に矢が流れていったことから、以来その川の名を「矢流川」(やだれがわ)と呼ぶようになったという。現在も川の名と地名として残っている。

矢流川の上流域、酒田市生石地区には「武士の滝」や「八幡神社」など、武士に由来する地名や旧跡、石碑や伝承等が残されているという。また、矢流川の源流となる鷹尾山頂上付近の湿地帯は「三千坊谷地」と呼ばれ、戦国時代には源範という名の僧兵が住んでいたという。

関連項目編集