木村庄之助 (14代)
大相撲の行司 (1826-1884)
14代 木村 庄之助(じゅうよんだい きむら しょうのすけ、1826年(文政9年) - 1884年(明治17年)8月14日)は、大相撲の立行司。本名は広田(?)。出身地不詳。
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基礎情報 | ||||
行司名 | 木村留吉 → 木村富吉 → 4代木村喜代治 → 10代木村庄太郎 → 14代木村庄之助 | |||
本名 |
ひろた 広田 ? | |||
生年月日 | 1826年??月??日 | |||
没年月日 | 1884年8月14日 | |||
出身 | 不詳 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 立行司(木村庄之助) | |||
初土俵 | 1837年10月 | |||
三役格 | 1863年7月 | |||
立行司 | 1881年1月 | |||
引退 | 1884年8月14日没 | |||
備考 | ||||
人物
編集10代木村庄之助(9代庄之助の再勤)の弟子。1837年(天保8年)10月場所において、木村留吉の名で初めて番付に載る。その後木村富吉を経て、1846年(弘化3年)3月より4代木村喜代治、1863年(文久3年)7月より10代木村庄太郎を襲名。
1876年(明治9年)4月場所を最後に13代庄之助が引退すると、翌1877年(明治10年)1月場所から14代庄之助を襲名する。当時は立行司としての先輩で、実績や経験で上回る6代伊之助が首席を務めたため、庄之助としては初めて首席に就けなかった。その後伊之助の死に伴い1881年(明治14年)1月場所からは首席行司となる。1884年(明治17年)5月場所まで務め、同年8月14日に亡くなる(現役没)。番付上は死跡として1885年(明治18年)1月場所まで在位している。
関連項目
編集脚注
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