木村 敷秀(きむら のぶひで、1855年3月3日(安政2年1月15日[1]) - 1924年大正13年)8月12日[1])は、直心影流剣術家、大日本武徳会剣道範士幼名は鐵太郎。

経歴編集

加賀国金沢生まれ。幼時より加賀藩の藤岡勇之助に水野心法一傳流を学び、明治元年(1868年)に免許皆伝を授かる。翌明治2年(1869年)、藩の雄飛館剣道教師となり、明治8年(1875年)まで務める。

明治10年(1877年)7月、上京し警視庁警部補に任官。同年、西南戦争新撰旅団小隊長に任命される。同年10月、榊原鍵吉に入門し直心影流剣術を修める。その後、学習院教授、警視庁、東京高等師範学校東京大学等の嘱託を務める。

大正元年(1912年)、大日本帝国剣道形制定の委員を務める。

称号編集

脚注編集

  1. ^ a b 『剣道事典 技術と文化の歴史』347頁。

参考文献編集

  • 村上晋編『大正武道家名鑑』平安考古会、1921年、7頁。
  • 中村民雄『剣道事典 技術と文化の歴史』島津書房、1994年。