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本多 忠徳(ほんだ ただのり)は、江戸時代後期の大名。陸奥泉藩の第5代藩主、若年寄。忠以系本多家8代。

 
本多忠徳
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 文政元年9月18日1818年10月17日
死没 万延元年6月12日1860年7月29日
改名 治之助・晴之丞(幼名)、忠徳
別名 長三郎(通称
諡号 汲深斎
戒名 憲徳院殿雄山良義大居士
墓所 東京都墨田区向丘の弘福寺
官位 従五位下、越中
幕府 江戸幕府
陸奥国泉藩
氏族 本多氏
父母 父:本多忠知、母:お輝(寺沢氏)
兄弟 忠徳忠紀
正室:柳沢保泰の娘
養子:忠紀
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経歴編集

文政元年(1818年)9月18日、第4代藩主本多忠知の三男として生まれる。兄が早世したため、世子となる。天保7年(1836年)に父が隠居し、家督を継いだ。藩政では、藩校汲深館を設立し、文武奨励・藩風の一新・文化の興隆を図った。

万延元年(1860年)6月12日、江戸で死去した。享年43。跡を弟で養子の忠紀が継いだ。

著書に「汲深斎日記」がある。