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本多 忠由(ほんだ ただよし)は、江戸時代中期の寄合旗本遠江相良藩主・本多忠央の養嗣子。

 
本多忠由
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保20年(1735年
死没 寛政4年1月26日1792年2月18日
墓所 東京都江東区亀戸の長寿禅寺
官位 従五位下、兵庫頭、兵庫助
幕府 江戸幕府
遠江相良藩世子
氏族 肥前有馬氏本多氏
父母 父:有馬一準
母:毛利吉広の養女(毛利匡広の娘)
養父:本多忠央
兄弟 有馬孝純毛利重広忠由
娘(本多忠福正室)
養子:忠福

生涯編集

越前丸岡藩の元藩主有馬寿純(一準)の三男として生まれる。母は継室の演暢院(毛利家出身)。寿純は享保18年(1733年)に家督を長男の孝純に譲って隠居していた。同母兄に叔父の長州藩毛利重就の養嗣子となった毛利重広がいる。

宝暦3年(1753年)に相良藩主・本多忠央の養子となる。忠由は本多忠政の娘・国姫(栄寿院)の玄孫にあたり、また忠央と忠由は共に長府藩毛利秀元の玄孫という関係にもあった。

養父の忠央が宝暦8年(1758年)に改易されると忠由も連座し、他家預かりの身となった。その後、明和3年(1766年)に赦免され、天明8年(1788年)に500俵を与えられて寄合に列した。寛政4年(1792年)、58歳で没した。