本間二三雄

日本の体操競技選手

本間 二三雄(ほんま ふみお)は、日本の元体操競技選手で、スポーツ科学者。

本間 二三雄
ほんま ふみお
国籍 日本の旗 日本
種目 体操競技
獲得メダル
体操競技
日本の旗 日本
世界選手権
1970 リュブリャナ (ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 スロベニア社会主義共和国) 団体総合
1974 ヴァルナ (ブルガリア) 団体総合
FIG体操ワールドカップ
1975 ロンドン つり輪
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来歴 編集

1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表として出場した本間茂雄の四男として生まれる[1][2]

東京教育大学出身[3]

東京教育大学在学中の1972年に、1972年ミュンヘンオリンピックの国内予選であん馬に「一腕上向き正全転向」という技法を用い、これは長らく「一腕全転向技群」と呼ばれる技法では唯一の実施例となり「幻の技」と称された[3]。1972年ミュンヘンオリンピック日本代表となるが[4]、本番の試合には出場せず、団体総合の金メダリストとはならなかった。

リュブリャナユーゴスラビア、連邦構成国のスロベニア内)で開催された1970年世界体操競技選手権ヴァルナブルガリア)で開催された1974年世界体操競技選手権の団体総合で金メダルを獲得した[5][6][7]。 1974年世界選手権男子団体総合優勝の功績により、他の代表選手とともに同年の朝日スポーツ賞を受賞している[8]

ロンドンイギリス)で開催された1975年FIG体操ワールドカップ英語版のつり輪で銀メダルを獲得した[9]

「ホンマ」と名付けられたつり輪と平行棒の技を持っている。つり輪の前方翻転逆上がり脚前挙支持と、平行棒の後ろ振りあがり前方屈伸宙返り支持である。

しかし、競技中に重傷を負い、車椅子生活を送った[1]

現役引退後は学術の道に進む。1976年に東京外国語大学の保健体育科の教官に就任して2年間務め[10]、その後東京学芸大学に転任し[10]、スポーツ科学の研究者となった[11]

脚注 編集

  1. ^ a b 渡辺和弘「オリンピックと佐渡人 水泳と体操に初出場 (PDF) 」『島の新聞』74号、島の新聞社、2012年8月28日、p.5
  2. ^ 渡辺和弘「佐渡人名録18 中川融とその周辺5 ―輝く群像・本間茂雄―」『佐渡ジャーナル』63号、佐渡ジャーナル社、2020年10月15日、p.25
  3. ^ a b 渡辺良夫『体操競技のあん馬における一腕全転向技群の技術開発に関する研究』(博士(コーチング学)論文)筑波大学、2012年https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/279302023年9月30日閲覧 本間に言及があるのはp.9およびp.114。
  4. ^ 第20回夏季オリンピック ミュンヘン大会体操男子 練習 本間二三雄 (JPN) - フォートキシモト
  5. ^ 1970 World Championships Men's Team Results, by Gymnast”. gymn-forum.net. 2023年9月29日閲覧。
  6. ^ 1974 World Championships Men's Team Results, by Gymnast”. gymn-forum.net. 2023年9月29日閲覧。
  7. ^ オリンピック・世界選手権 日本人金メダリストと団体順位 体操競技 (PDF) - 日本体操協会(2021年11月19日)2023年9月30日閲覧。
  8. ^ 過去の受賞者 - 朝日スポーツ賞(朝日新聞社
  9. ^ 1975 World Cup Men's EF”. gymn-forum.net. 2023年9月29日閲覧。
  10. ^ a b 『東京外国語大学史 通史編』東京外国語大学、1999年、p.1188 (PDF)
  11. ^ スポチュニティコラム スポーツ科学で障害者教育に新たな道筋を切り拓く 松山直輝さん(前編)~「頑張るだけでは成功できない」陸上競技の選手経験を経て研究者の道へ ~”. スポチュニティ (2023年5月3日). 2023年9月30日閲覧。なお、文中に「1972年ミュンヘンオリンピックの団体総合金メダリスト」とあるが、これは誤りである。

関連事項 編集