杉原鐡城(すぎはら てつじょう、1870年? - ?)は、明治時代広島県一帯で[1]「未来の内閣総理大臣」として知られた人物。彼は年中様々な人を訪れて自身が未来の総理大臣になることを誓い、人々に本名ではなく「大臣」と呼ばれ笑って迎えられた[2]

杉原 鐡城
杉原鐡城
生誕 1870年
死没
職業 詩人(?)
自称「未来の内閣総理大臣
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風月吟社を主宰して30年に渡り詩文の講評をなしていた伊藤鴛城の門下で[3] 杉原は作を好み、内閣総理大臣自身となる自分の抱負を詩にしていた。その一年分の詩を印刷して有志に配布し、年会費1円以内を「租税」と称して徴収することを商売としていた[2]1912年4月出発の広島朝鮮視察団の汽車に飛び乗り同行を申し込んでいる[4]

杉原は本物の内閣総理大臣・伊藤博文に面会したことがある。韓国からの帰りに厳島弥山に登山した伊藤は、山上で杉原の抱負を述べた詩集『登閣詩稿』を手渡されたが返す言葉も無かった[2]

著書 編集

参考文献 編集

脚注 編集