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李 勇武(リ・ヨンム、리용무1923年1月25日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人政治家。元朝鮮労働党中央委員会政治局員、元朝鮮民主主義人民共和国国防委員会副委員長。朝鮮人民軍における軍事称号は次帥

李勇武
各種表記
ハングル 리용무
漢字 李勇武、李用茂
発音 リ・ヨンム
英語表記: Ri Yong Mu
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経歴編集

平安南道の出身。朝鮮人民軍総政治局第一副局長、総政治局長を歴任。1977年に局長を解任され失脚。

しかし、1988年11月の朝鮮労働党第6期中央委員会第14回総会において、党中央委員候補に補選され復活した[1]。さらに翌1989年6月9日の第16回総会において党中央委員に昇格[2]。1990年、国家検閲委員会委員長(閣僚)に就任した。1991年12月18日、交通委員会委員長に異動[3]

1998年9月に次帥の称号を授与され、同年9月5日に最高人民会議第10期第1回会議において国防委員会副委員長に選出された[4]

2010年9月28日、第3回党代表者会において党中央委員会政治局員に選出[5]。2012年4月11日、第4回党代表者会において党中央委員会政治局員に留任したとみられる[6]

2014年4月9日、最高人民会議第13期第1回会議において国防委員会副委員長に留任[7]

2016年5月に開催された第7回党大会において党中央委員に選出されたが[8][9]、党政治局員には選出されなかった[10]。また、同年6月29日に開催された第13期最高人民会議第4回会議では、国防委員会に代わって新設された朝鮮民主主義人民共和国国務委員会の委員に選出されなかった[11]

脚注編集

  1. ^ 玉城素「緊張と動揺の明け暮れ - 1988年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報1989』アジア経済研究所、74ページ
  2. ^ 玉城素「孤立化と崩壊の危機 - 1989年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報1990』アジア経済研究所、69-70ページ
  3. ^ 小牧輝夫・中川雅彦「対外政策転換で突破口を模索 - 1991年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報1992』アジア経済研究所、49ページ
  4. ^ 参考資料 朝鮮民主主義人民共和国 1998年」『アジア動向年報1999』アジア経済研究所、83ページ
  5. ^ 後継体制構築の準備始まる : 2010年の朝鮮民主主義人民共和国」 『アジア動向年報2011』 アジア経済研究所、2011年、68ページ。
  6. ^ 3代目政治体制の発足とロケットの発射 : 2012年の朝鮮民主主義人民共和国」 『アジア動向年報2013』 アジア経済研究所、2013年、52ページ。
  7. ^ 農業,工業で経営改革が拡大 : 2014年の朝鮮民主主義人民共和国」 『アジア動向年報2015』 アジア経済研究所、2015年、101ページ。
  8. ^ 「朝鮮労働党第7回大会公報」 (朝鮮語)、『労働新聞』、2016年5月10日。 オリジナルの2018年8月6日時点によるアーカイブhttp://web.archive.org/web/20180806180158/http://rodong.rep.kp/ko/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2016-05-10-0006 
  9. ^ 平井久志 朝鮮労働党大会「設計図なき戴冠式」(4) 金与正「中央委員」人事の意味 HUFFPOST 2016年05月21日
  10. ^ 朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。
  11. ^ 김정은, 당·국가 최고위직 겸직… 아버지 시대와 결별”. 国民日報 (2016年6月30日). 2016年6月30日閲覧。
   朝鮮民主主義人民共和国
先代:
韓益洙
朝鮮人民軍総政治局長
1973年 - 1977年
次代:
徐哲