李忠 (唐)
高宗の長男・皇太子
李 忠(り ちゅう、643年 - 664年)は、唐の高宗の長男で、最初の皇太子である。字は正本。母は劉氏。
李忠 | |
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続柄 | 高宗第1皇子 |
称号 | 皇太子 |
身位 | 陳王→皇太子 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
貞観17年(643年) |
死去 |
麟徳元年(664年) |
子女 | 養子:玄宗 |
父親 | 高宗 |
母親 | 劉氏 |
生涯編集
646年(貞観20年)、陳王に封ぜられた。その後650年(永徽元年)、雍州牧に任ぜられた。652年(永徽3年)に皇太子に立てられたが、656年(顕慶元年)に武則天が高宗の皇后となると、太子位を廃されて梁王に降格され、梁州都督に左遷され、次いで房州刺史に左遷された。
この頃には李忠は殺害されることを恐れ、常に女装していたという。660年(顕慶5年)、庶民に落とされ、黔州に流されて、以前に伯父の李承乾(父高宗の兄で同じく廃太子)が幽閉された旧居に軟禁された。664年(麟徳元年)、黔州で死を賜った。享年22。