李 義深(り ぎしん、496年 - 552年)は、東魏政治家本貫趙郡高邑県。弟は李稚廉

経歴編集

北魏の殷州別駕の李紹宗の子として生まれた。経史を渉猟し、実用の才があった。はじめ済州征東府功曹参軍となり、龍驤将軍の位を加えられた。531年高歓が信都で起兵すると、高歓の下で大行台郎中となった。平南将軍・鴻臚少卿に任ぜられた。義深は爾朱兆の兵力が上回っているとみて、高歓を裏切って爾朱兆のもとに走った。

爾朱兆が平定された後、高歓は義深の罪を許して、大丞相府記室参軍として任用した。左光禄大夫・相府司馬に累進し、并州長史に転じた。并州刺史の可朱渾元が行政の実務にうとかったので、実務の多くを義深に委ね、義深は州の事務を迅速に決裁した。後にまた高歓の下で大丞相司馬となった。

武定年間、斉州刺史に任ぜられ、利殖を好み、収賄することが多かった。550年、行鄭州事となり、行梁州事に転じ、まもなく散騎常侍に任ぜられ、陽夏郡太守となった。州における収奪を段業に告発され、拘禁されて梁州に送られた。552年、配所で病没した。

子に李騊駼があり、北斉北周に歴仕した。

伝記資料編集

  • 北斉書』巻二十二 列伝第十四
  • 北史』巻三十三 列伝第二十一