杣街道(そまかいどう)は、江戸時代滋賀県近江国甲賀郡に存在した街道。杣海道、新海道、伊賀街道、伊勢街道、東海道分間延絵図では杣谷道、一般には杣道とも呼ばれていた[1]

新海道の石碑(湖南市)

歴史 編集

杣川沿いのこのルートは近江朝時代の東海道で「倉歴(くらぶ・くらふ)道」ともいう。壬申の乱後に一旦廃れたが、平安時代にも886年仁和2年)に鈴鹿峠経由で関に至る「阿須波(あすは)越」に変更されるまで東海道として利用された[1]。その後も、湖南から伊賀に抜ける「伊賀道」として、伊勢参宮の間道として、山伏の道として、杣谷の人々にとっての主要道として重要な道であった。江戸時代に入って17世紀には三雲から東海道と分れて伊賀へ至る現在のルートの大要が確認でき、1742年寛保2年)の資料には「杣海道」の名称が確認できる。現在のルートが整えられたのは明治20年代のことで、当時これを「新海道」と称した。1889年、沿線に関西鉄道が開通。1907年に国有化され、現在のJR草津線となっている。

経路 編集

三雲(滋賀県湖南市三雲) → 三本柳(滋賀県甲賀市水口町) → 深川市場(甲賀市甲南町深川市場) → 寺庄(甲賀市甲南町寺庄) → 大原市場(甲賀市甲賀町大原市場) → 上野(甲賀市甲賀町上野) → 柘植(三重県伊賀市柘植町)<大和街道に合流> → 加太市場(亀山市) → 関(亀山市関地区)

脚注 編集

  1. ^ a b 図説・近江の街道. 郷土出版社. (1994-07-26). pp. 52,192 

関連項目 編集