松平宗長

日本の江戸時代中期の大名。常陸笠間藩2代藩主松平資俊三男で、越前高森藩初代藩主(2万石)。従五位下兵庫頭・内膳正。中奥御小姓組を勤めた

松平 宗長(まつだいら むねなが)は、江戸時代中期の大名越前国高森藩初代藩主。官位従五位下兵庫頭内膳正

 
松平宗長
時代 江戸時代中期
生誕 貞享4年(1687年
死没 宝永6年11月20日1709年12月20日
墓所 東京都足立区東伊興の法受寺
官位 従五位下兵庫頭内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
越前高森藩
氏族 本庄松平家
父母 松平資俊佐野勝由
兄弟 宗弥宗長宗胡富田知徳
鳥居忠瞭正室、松平義孝正室、
松平久瑞正室ら
宗胡
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生涯

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松平資俊の三男として誕生。

5代将軍綱吉の生母である桂昌院が大伯母に当たることから、縁故で中奥の御小姓に取り立てられる。

宝永2年(1705年)、高森藩主・松平頼職が本家の紀州藩を継ぐこととなったため、高森藩領は収公されることとなった。この際に桂昌院の遺言もあって[1]宗長は大名として取り立てられ、高森藩2万石を与えられた。

しかし在任僅か4年後の宝永6年(1709年)11月20日に死去した。享年23。跡を弟・宗胡が継いだ。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『文昭院殿御実紀』巻第四・宝永六年十二月廿六日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第五編』p.75