松平胖
松平 胖(まつだいら ゆたか、1879年〈明治12年〉12月12日 - 1945年〈昭和20年〉12月10日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。正五位勳三等功五級[2]。
松平 胖 まつだいら ゆたか | |
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生誕 |
1879年12月12日 東京府本郷区 |
死没 | 1945年12月10日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
最終階級 | 海軍大佐 |
経歴
編集旧讃岐高松藩第11代藩主(後に伯爵)松平頼聰の十男。生母は彦根藩主で大老井伊直弼の娘千代子。貴族院議長、伯爵松平頼寿は同母兄。妻は肥前佐賀藩主鍋島直大の娘俊子。長男頼明は子供のなかった兄頼寿の養子となり、伯爵位を継いだ。長女佳子(誠子)は伯爵廣橋眞光の養妹となり、李王家の一族である李鍵公妃となった。
海軍兵学校30期を卒業し、1902年(明治35年)少尉任官。日本海海戦に第一駆逐隊所属の「春雨」乗組みとして参戦[3]し、第一次世界大戦にも出征した[4]。予備役後の1926年(大正15年)から少年審判所に勤務し、また鉱業会社の役員を務める[4]。
栄典
編集家系
編集出典
編集参考文献
編集- 『大衆人事録 東京篇』(第13版、1939年)
- 『海軍兵学校沿革』(原書房)
- 戸高一成『日本海軍士官総覧』(柏書房)
- 有終会編『戦袍余薫懐旧録』第2輯