松本卓夫

日本の牧師、新約聖書学者

松本 卓夫(まつもと たくお、1888年6月19日 - 1986年11月28日)は日本の牧師新約聖書学者である。

まつもと たくお
松本 卓夫
生誕 (1888-06-19) 1888年6月19日
日本の旗 日本岩手県盛岡市
死没 (1986-11-28) 1986年11月28日(98歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 鎮西学院関西学院ドルー神学校ペンシルバニア大学ユニオン神学校
職業 牧師(メソジスト)
父:松本総吾
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経歴 編集

幼少期・学生時代 編集

1888年(明治21年)岩手県盛岡市メソジスト派の牧師松本総吾の三男として生まれる。

鎮西学院高等部卒業後、1912年に関西学院神学部を卒業する。1913年(大正2年)に渡米し、オハイオ・ウェスレアン大学ドルー神学大学ペンシルベニア大学院、ユニオン神学校大学院で学び、1919年に帰国する。

教授・牧師時代 編集

1919年(大正8年)より青山学院神学部の教授に就任する。東京女子大学津田塾大学講師も兼任する。

1923年(大正12年)に日本メソヂスト教会の按手礼を受けて、牧師になる。

1941年(昭和16年)より広島女学院院長、広島女学院大学学長を兼任する。1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により校舎で被爆し、妻と670名の生徒が死亡する。半年後、被爆体験より世界平和運動の会を結成する。

1948年(昭和23年)日本基督教団広島牛田教会を創立し、初代牧師に就任する。

1951年(昭和26年)には、日本聖書協会口語訳聖書翻訳委員長となり、藤沢市に転居する。1955年(昭和30年)に藤沢教会の名誉牧師になる。

1960年(昭和35年)に静岡英和女学院院長、短期大学学長に就任する。1969年に静岡英和女学院を辞任し、ヒロシマ・フレンドシップ・センターの名誉館長に就任する。

1970年(昭和45年)にキリスト教功労者の表彰を受ける[1]

世界平和研究団団長、恵泉学園平和学園理事長などを務め、1986年(昭和61年)に死去する。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

外部リンク 編集