林 連(はやし れん、1881年明治14年)4月14日[1] - 1950年昭和25年)3月26日[2])は、衆議院議員日本進歩党民主党)、内務政務次官弁護士

林連

経歴 編集

福岡県上座郡朝倉村(現在の朝倉市)出身[1]1910年(明治43年)、明治大学法科を卒業し、弁護士試験に合格した[1]。弁護士業務のかたわら、南千住町会議員[3]南千住町長、東京府会議員、同郡部会副議長、同参事会員[1]東京市会議員、同副議長、東京都議会議員、同副議長を歴任した[2]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙東京都第1区から出馬して当選。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙でも東京都第6区から出馬して再選された。その間、第1次吉田内閣で内務政務次官を務めた。公職追放に伴い1947年5月21日に議員を辞職[4]、追放解除を待たず死去し地盤は長男のが継いだ。

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『大衆人事録』
  2. ^ a b 『衆議院議員名鑑』
  3. ^ 『東京府市名誉録』p.65
  4. ^ 『官報』第6105号、昭和22年5月24日。

参考文献 編集

  • 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。