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柳本陣屋(やなぎもとじんや)は、大和国式上郡(現 奈良県天理市柳本町)にあった陣屋で、柳本藩の藩庁である。

概要編集

織田信長の弟の織田長益(有楽斎)は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに東軍として参戦し戦功を挙げたことから、大和国・河内国に3万石の所領を与えられた。その後、豊臣秀頼の家臣となり、大坂冬の陣では豊臣方として戦ったが、その裏で和睦交渉をしていた。夏の陣前に豊臣方を離れたため、罪を問われることはなかった。元和元年(1615年織田尚長が分知により柳本藩を立藩した。後の寛永年間になって中世の柳本城址に陣屋を築いた。

第4代藩主の秀親の代である宝永6年(1709年)、徳川綱吉の法要が寛永寺で行われている時、発狂した加賀国大聖寺新田藩前田利昌により殺害された。このため弟の成純を養嗣子として跡を継がせ、改易を防いだ。

文政3年(1830年)陣屋が全焼した。幕末には城主格になっている。尚長以降13代続いて信及(のぶひろ)の代に明治維新を迎えている。

遺構編集

陣屋址は柳本小学校の敷地となり、堀の一部に利用した黒塚古墳の堀と石垣が残存するのみである。昭和42年(1967年)、表向御殿が橿原神宮文華殿として移築された(重要文化財に指定されている)。また、陣屋西門が移築現存する。

アクセス編集

JR桜井線柳本駅から徒歩約5分。