柴田榮吉
柴田 榮吉(しばた えいきち、1856年7月16日〈安政3年6月15日[1]〉- 1950年〈昭和25年[2]〉)は、明治から昭和時代の政治家(6代・10代八王子町長、初代八王子市長、ほか)、実業家。柴田家に入婿して以降は生涯にわたって八王子を拠点とした。
略歴
編集武蔵国多摩郡芋窪村(旧・東京府北多摩郡大和村芋窪、現・東京都東大和市芋窪)で、農業・竹松善右衛門の四男として生を受ける[1]。1875年(明治8年)八王子南新[3][注釈 1]で笠屋を営む柴田家に入婿した[3]。
1894年(明治27年)7月、八王子繭糸取引所常務理事に就任[3]。1896年(明治29年)八王子撚糸製造組合を創設し頭取となり、1898年(明治31年)撚糸製造業組合を創設[3]。
1901年(明治34年)第4代八王子町長・関谷源兵衛[注釈 2](在任期間:1901年3月7日-1902年3月5日)によって八王子町助役に任命される[4]。八王子大火(1897年4月22日発生[4])や、東京府第二中学校誘致問題などに端を発する混乱のなか、立て直しを図ることを期待されての就任であった[5]。
1903年(明治36年)7月14日、第6代八王子町長に就任[4]。1904年(明治37年)八王子撚糸製造組合頭取を辞任し顧問となる[3]。1905年(明治38年)1月9日、八王子町長を辞任[4]。1911年(明治44年)八王子瓦斯を創設し[6]、1914年(大正3年) 八王子撚糸同業組合顧問に就任[3]。
1916年(大正5年)11月3日、第10代八王子町長に就任[4]。1917年(大正6年)3月31日、八王子町の最終日を迎え、町長を退任[4]。同年9月1日、八王子町が市制を施行して八王子市が発足し[4]、柴田は市長代理に任命され[4]、同年12月14日、初代八王子市長に就任[4]。1921年(大正10年)12月13日、八王子市長として1期を任期満了し退任した[4][注釈 3]。在任中の実績としては、塵芥清掃の市営化、市営火葬場・市営墓地の設置などを行った[7]。
1924年(大正13年)5月10日、第15回衆議院議員総選挙(東京府第12区)に政友会から立候補するも落選[2]。1950年(昭和25年)に死去した。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 波多野重雄編著『八王子市政八十年史:歴代市長の足跡』ふこく出版、1996年。
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