栗本順三

昭和時代の経営者

栗本 順三(くりもと じゅんぞう、1901年12月16日 - 1979年4月28日)は、昭和時代の経営者[1]

人物・略歴 編集

1901年(明治34年)12月16日生まれ。

生家は江戸時代末期に華岡青洲を生んだ華岡家。

栗本鐵工所創業者の栗本勇之助に見込まれ養子となる。

1927年(昭和2年)、京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、栗本鐵工所に入社。常務、専務を経て社長、会長をつとめる。

この間、大阪商工会議所副会頭、大阪市助役阪神高速道路公団理事長、大阪府教育委員長関西経済連合会副会長、帝塚山学院理事長などの要職を歴任した。

1979年(昭和54年)、77歳で死去。

主な受賞歴 編集

出典・脚注 編集

  1. ^ 栗本順三(くりもとじゅんぞう)とは - コトバンク
  2. ^ 受賞者詳細情報 - 大阪文化賞・大阪芸術賞 -

関連項目 編集

先代
弘世現
一本松珠璣
関西経済同友会代表幹事
石田劥と共同
1955年 - 1956年
次代
湯淺佑一
小林米三