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艦歴
計画 1914年度[1]
起工 1914年11月24日[1]
進水 1915年2月28日[1]
就役 1915年4月23日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
売却 1937年3月30日[1]
性能諸元(計画公表値)
排水量 基準:公表値 595トン
常備:計画 665トン
全長 全長:82.90 m [注釈 1]
水線長:82.29m[注釈 2]
垂線間長:260 ft 0 in (79.25 m)
全幅 24 ft 0+3/8 in (7.32 m)
水線幅 24 ft 0 in (7.32 m)
吃水 7 ft 9 in (2.36 m)
深さ 15 ft 3 in (4.65 m)
機関 推進:3軸
主機:直立4気筒3段レシプロ 3基
出力:計画 9,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、混焼2基
速力 30ノット
1931年時 31ノット
燃料 重油137トン、石炭100トン
航続距離 1,600カイリ / 15ノット
乗員 竣工時定員 90名[2]
1920年調 94名
1928年公表値 96名
兵装 40口径12cm単装砲 1門[注釈 3]
40口径8cm単装砲 4門[注釈 4]
45cm連装魚雷発射管 2基4門
搭載艇 4隻
備考 ※トンは英トン

(きり)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樺型駆逐艦の10番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「桐 (初代)」や「桐I」などと表記される。

艦歴編集

1914年大正3年)11月24日、浦賀船渠で起工[3][4]1915年(大正4年)2月28日に進水し[3][5]、同年4月23日竣工[3][6][注釈 5]

第21駆逐隊に所属し、1918年(大正7年)12月1日から1923年(大正12年)5月10日まで馬公要港部馬公)の警備に従事[7]。同年12月1日から1925年(大正14年)4月1日まで旅順防備隊に所属した[7]

1932年昭和7年)4月1日に除籍。大村海軍航空隊所属の標的として大村湾に係留された[7]1937年(昭和12年)3月30日に売却。

艦長編集

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 巨勢泰八 少佐:1915年3月1日 - 1916年9月12日
兼海軍艦政本部艤装員(1915年3月1日[8] - 1915年4月23日[9]
  • 神本国太郎 少佐:1916年9月12日 - 1917年6月1日
  • 高木平次 少佐:1917年6月1日 - 1917年12月1日[10]
  • 高橋為次郎 少佐:1917年12月1日[10] - 1918年5月1日[11]
  • 高橋雄三郎 少佐:1918年5月1日[11] - 1918年12月1日[12]
  • 神山忠 少佐:1918年12月1日[12] - 1919年12月1日[13]
  • 西尾三郎 少佐:1919年12月1日[13] - 1920年12月1日[14]
  • 荒糺 少佐:1920年12月1日 - 1923年11月20日
  • 帖佐敬吉 少佐:1923年12月1日[15] - 1925年5月1日[16]
  • 大藤正直 大尉:1925年5月1日[16] - 1926年4月20日[17]
  • (兼)池田久雄 少佐:1926年4月20日[17] - 1926年6月1日[18]
  • 池田七郎 少佐:1926年6月1日[18] - 1926年12月1日[19]
  • 安住義一 少佐:1926年12月1日[19] - 1929年2月14日[20]
  • 小西要人 大尉:1929年2月14日 - 1929年11月1日
  • 瀬戸山安秀 大尉:1929年11月1日 - 1930年12月1日
  • (兼)加瀬三郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年4月1日

脚注編集

注釈編集

  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。
  2. ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
  3. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式12cm砲。
  4. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式8cm砲。
  5. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備31p.274では大正4年12月22日、#堀駆逐艦1969p.115、#聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.433、#日本駆逐艦史1992p.42、#駆逐艦の系譜1p.28では大正4年4月22日竣工としている。

出典編集

  1. ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、297頁。
  2. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表ノ通二等驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 艦第二十表ノ二 |二等 驅逐艦定員表 其二 | 驅逐艦名 | 樺、桂、榊、楓、梅、楠、柏、松、桐、杉 |(以下略)』將校同相當官5人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士22人、卒60人。
  3. ^ a b c #帝国海軍機関史下巻p.543(四五三頁)
  4. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(2)画像51『大正三年十一月廿四日(中略)駆逐艦桐龍骨据付方本日午前八時挙行仕候間此段御届申上候也』
  5. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(3)画像8『大正四年二月廿八日(中略)駆逐艦桐只今無事進水右届ケス(了)』
  6. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(3)画像28『大正四年四月廿三日(中略)桐本日引渡運転結了無事桐艦長ニ御引渡ス(了)』
  7. ^ a b c #聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.429、434。
  8. ^ 海軍辞令公報 大正4年3月』 アジア歴史資料センター Ref.C13072071000 
  9. ^ 海軍辞令公報 大正4年4月』 アジア歴史資料センター Ref.C13072071100 
  10. ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  11. ^ a b 海軍辞令公報 大正7年5月』 アジア歴史資料センター Ref.C12070262800 
  12. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  13. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  14. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  15. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  16. ^ a b 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
  17. ^ a b 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
  18. ^ a b 『官報』第4131号、大正15年6月2日。
  19. ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  20. ^ 『官報』第637号、昭和4年2月15日。

参考文献編集

  • 『海軍制度沿革 巻十の1』明治百年史叢書 第182巻、海軍省/編、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
  • 『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、日本舶用機関史編集委員会/編、原書房、1975年11月。
  • 『軍艦基本計画資料』福田啓二/編、今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9
  • 衣島尚一「日本海軍 駆逐艦の系譜1~黎明期から睦月型の誕生まで~+日本の駆逐艦・キット総点検(1)」『艦船模型スペシャル』No.17、モデルアート社、2005年9月。
  • 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(2)』。Ref.C08020599400。
    • 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(3)』。Ref.C08020599500。

関連項目編集