10代 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、1849年(嘉永2年6月[1]) - 1908年(明治41年)1月27日[1])は明治時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員

桜井三郎右衛門
さくらい さぶろうえもん
生年月日 1849年
出生地 日本の旗 日本 出雲国
(現・島根県
没年月日 1908年1月27日

在任期間 1900年11月1日 - 1904年9月28日

阿井村会議員
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経歴 編集

出雲国(現島根県)出身[1]

1885年(明治18年)以降、仁多郡上阿井村外二村連合会議員、同郡勧業会員、島根県農事試験委員、阿井村会議員、仁多郡参事会員、島根県農工銀行[注 1]、八雲銀行[注 2]各取締役、島根県実業会幹事長などを歴任した[1]

1900年(明治33年)島根県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年11月1日から[2]1904年(明治37年)9月28日まで務めた[1]

親族 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ 山陰合同銀行の前身行のひとつ。

出典 編集

  1. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1960, 195頁.
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
  3. ^ 人事興信所 1915, さ73頁.

参考文献 編集