椋梨一雪
椋梨 一雪(むくなし いっせつ、1631年(寛永8年)- 1706年(宝永3年)〜1708年(宝永5年)?)は、江戸時代の俳諧師。松永貞徳、山本西武の門人。椋梨氏。通称は三郎兵衛、別号は隠山、牛露軒。家紋は三頭左巴左向亀。
来歴
編集井上敏幸「椋梨一雪年譜稿[1]」に拠る来歴は以下の通り。
1631年(寛永8年)京都に生まれる。1640年(寛永17年)父幸温が死去、寺院に身を置く。1653年(承応2年)、『滑稽太平記』巻4に松永貞徳追悼句が掲載され、これが一雪の句の初見とされる。1660年(万治3年)『歌林鋸屑集』出版。1663年(寛文3年)『俳諧茶杓竹追加幅紗物』で安原貞室を論難したほか、『貞徳俳諧記』(服部一貞編)を出版した。1665年(寛文5年)江戸に転住。1670年(寛文10年)『洗濯物付洗濯碪』刊行。1672年(寛文12年)『俳諧晴小袖』出版か。1675年(延宝3年)『沙金袋後集』出版。1676年(延宝4年)『言之羽織』『追加雨霽』出版。1684年(貞享元年)『古今犬著聞集』が成稿。本作をもとに、1696年(元禄9年)『日本武士鑑』が刊行された。1704年(宝永元年)『続著聞集』の執筆にかかるが、1706年(宝永3年)~1708年(宝永5年)の間に死去したものと推測される。存命中、数多くの俳書に作品が掲載された。
脚注
編集- ^ 井上敏幸『椋梨一雪年譜稿』日本近世文学会、1980年。doi:10.20815/kinseibungei.32.0_12 。2020年4月2日閲覧。