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楊溥(よう ふ、1372年 - 1446年)は前期の政治家。は弘済。明史巻148に伝がある(楊栄楊士奇との合伝)。

略歴編集

湖北省出身で1400年建文2年)の進士。同年の進士である楊栄と並んで翰林院編修となった。永楽帝の即位後皇太子(後の洪熙帝)に仕え、1414年永楽12年)に太子が永楽帝の怒りに触れたことに関係して投獄されたが洪熙帝の即位により復権した。その後も累進して1434年宣徳9年)礼部尚書となり、1444年(正統9年)から1446年に死去するまで内閣大学士(首輔)を務めた。同時代に相次いで内閣大学士を務めた楊栄楊士奇と「三楊」と称せられ、文学においても台閣体の創始者として知られている(なお、「三楊」という呼称は彼らの生前すでにあった)。1446年(正統11年)7月に病死。太師を追贈され文定とされた。

脚注編集

参考文献編集