楠木 正綱(くすのき まさつな、 興国7年/貞和2年(1346年) - 没年不詳)は南北朝時代の武将。楠木正行の子とされるが不明点が多い。

概略 編集

楠木氏の系図では楠木正行の子孫は存在しないことが多い[注釈 1]

しかし『嘉兵衛本楠系図』では正行の子孫が記載されている[注釈 2]

これによれば正行の子として「正綱・正行死時二歳・左中将橘朝臣」を記載している。その子は「正倶・右衛門督」。さらにその子は「正隆・四位少将」と「某」。正隆の子は「正理・左京大夫・(事績略)」と「某・大和當麻寺僧」としている。正理以後は「行康・雅楽助」「正俊・帯刀」「成良・刑部少輔」「正隆・帯刀」「正良・刑部少輔」「良知・若狭守」「良清・嘉兵衛有二子」まで、代々が記載されている[注釈 3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 尊卑分脈』版『橘氏系図』、『群書類従』版『橘氏系図』等。『群書系図部集』収録の『楠氏系圖 別本』のように「無嗣」と明記している系図も見られる[1]
  2. ^ 『群書系図部集』収録。「橘氏大系圖有異」との注記付きで「楠嘉兵衛所持之就林學士家本寫之。」を「楠氏系圖」のひとつとして掲載している[1]
  3. ^ 前掲書・15頁、16頁。

出典 編集

  1. ^ a b 塙保己一『群書系図部集 6』八木書店、2001年、14-16頁https://books.google.co.jp/books?id=4i_Q7X4O2dwC&pg=PP262021年10月26日閲覧