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横浜 茂勝(よこはま しげかつ、生没年不詳)は、安土桃山時代武将。民部少輔。別名に正行。

横浜一庵の子といわれ、一説には弟ともある。豊臣秀長および、養子豊臣秀保に仕えたが、文禄4年(1595年)4月に主君の秀保がにわかに没すると豊臣秀吉の直参となり、大和国内(播磨国内という説もあり)にて17,000石を領する[1]慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、大坂天王寺口を守備、大和高取城の戦い、大津城の戦いにも参加した為に改易となり、その後の消息は不明。

子の横浜正幸(内記)は山城国笠置で生まれ、藤堂高虎が伊予から伊勢へ入国した際に小堀政一の肝煎りで500石で藤堂家に仕えた。

脚注編集

  1. ^ 寺沢光世「大和郡山城代横浜一庵について」1991年(『歴史手帖19-3』)