桜井 知則(櫻井、さくらい とものり、1859年3月5日(安政6年2月1日[1])- 1934年昭和9年)4月18日[1][2])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員奈良県磯城郡平野村名誉村長。

経歴

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大和国十市郡佐味村(奈良県[2]十市郡佐味村[1]平野村磯城郡平野村[3]を経て現田原本町[1])で、桜井知新の長男として生まれた[1]。漢籍を修めた[2][3]

1881年(明治14年)佐味村外七カ村戸長兼田原本外四カ村戸長に就任[1][3]。佐味村会議員、平野村名誉村長、連合町村会議員などを務めた[1][2][3]。1889年(明治22年)奈良県会議員に選出された[1][2][3]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(奈良県第2区、自由党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]

実業界では、1895年(明治28年)大和木綿業連合組合総長に就任[1][2][3]。その他、大阪細糸紡績専務取締役、大阪石原鉱業部顧問、愛知硫安肥料社長、大阪製菓社長、浪速グリース社長、大阪鉄管商会監査役などを務めた[1][2][3]

1934年4月、大阪市南区瓦屋町で死去した[1]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『郷土歴史人物事典 奈良』127頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』294頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』212頁。
  4. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』23頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』84頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 乾健治『郷土歴史人物事典 奈良』第一法規出版、1991年。