次浦城
次浦城(つぎうらじょう)は、千葉県香取郡多古町次浦にあった日本の城。
次浦城 (千葉県) | |
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次浦城 | |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 次浦氏 |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度46分59.4秒 東経140度29分10.6秒 / 北緯35.783167度 東経140.486278度座標: 北緯35度46分59.4秒 東経140度29分10.6秒 / 北緯35.783167度 東経140.486278度 |
地図 |
歴史 編集
築城年代、城主等は不明だが、一時期次浦常盛の館だったのではないかとも言われる。次浦常盛は、「神代本千葉系図」によると、平常兼の弟・粟飯原家常の四男であり、千葉氏との関連が指摘される。城内には、千葉氏の氏神である妙見の祠が祀られている[1]。
元弘・建武のころ(1331~36年)、この地方は千葉胤貞の支配地で、次浦城もその支城であったと言われる。建武年間、千田荘一帯に動乱が広がっていたが、次浦氏もそれに関わっていた。
言い伝えによると、戦いの時、大将がキュウリのつるに兜をひっかけたところを敵に踏み込まれて討ち死にしたという。このため、この地方では今もキュウリを忌み嫌い、栽培しないとのことである[2]。
構造 編集
栗山川の支流である沼田川沿いの台地上に築かれている。土塁と空堀で囲まれた方形の区画が残っており、このあたりは字名 を「城山」といい主郭と推定される。 周辺には、「馬場小屋」 「内小屋」 「土橋」 「馬場道」 などの字名が残り、当時を偲ばせるが、その他の城郭構造は不明である[3]。
アクセス 編集
- JR佐原駅、多古台バスターミナルよりJRバス関東 次浦下車 徒歩13分