正徳院(しょうとくいん、慶長19年(1614年) - 天和3年(1683年))は、旗本水野成貞正室。父は阿波徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮。母は小笠原秀政の娘で徳川家康の養女である敬台院。姉兄には三保姫池田忠雄正室)、蜂須賀忠英がいる。名は

生涯 編集

阿波徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮と正室・氏姫(敬台院)の次女として生まれる。後に旗本水野成貞へ嫁いだ。成貞との間には、寛永7年(1630年)に長男・水野成之寛永18年(1641年)に次男・水野忠丘、他にも3人の娘を出産した。

慶安3年(1650年)、夫である成貞が死去し、家名を長男・成之が継ぐ。しかし、寛文4年(1664年3月26日、成之が幡随院長兵衛を殺害したことでともども連座し、実家である徳島藩の蜂須賀光隆(兄忠英の子)に預けられた。

天和3年(1683年)、69歳で没する。墓所は徳島県徳島市丈六町にある丈六寺。法名は正徳院殿乾室了外大姉。

次男の水野忠丘元禄元年(1688年)7月末に赦され、元禄14年(1701年)に旗本となったことで、水野の家名は存続した。

登場作品 編集

系譜 編集

注釈 編集

  1. ^ 蜂須賀家家老

参考文献 編集