歩兵第7連隊(ほへいだい7れんたい、歩兵第七聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

歩兵第7連隊
金沢城公園内にある歩兵第7聯隊跡の碑
創設 1875年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 金沢
編成地 金沢
通称号/略称 武1524
補充担任 金沢連隊区
上級単位 名古屋鎮台 - 第3師団 - 第9師団
最終位置 台湾 台中
戦歴 西南 - 日清 - 日露 - 第一次上海事変 - 日中 - 第二次世界大戦
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沿革

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9月9日 - 軍旗拝受
6月 - 帰還
  • 1935年(昭和10年) - 満州駐剳
  • 1937年(昭和12年) - 帰還するも動員下令で再び上海に上陸
  • 1939年(昭和14年)6月 - 帰還
  • 1940年(昭和15年) - 満州駐剳
  • 1944年(昭和19年)7月 - 沖縄へ移動、同年11月に台湾へ移駐
  • 1945年(昭和20年)8月 - 終戦

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 津田正芳 1875.3.28[2] - 1876.5.9 少佐
2 竹下弥三郎 1876.5.10[2] - 1878.1.3 中佐
3 平岡芋作 1878.1.4[2] - 1880.4.24 中佐
4 山口素臣 1880.4.25[2] - 1882.3.9 中佐、1882.2.大佐
5 仲木之植 1882.3.10[2] - 1885.6.1 中佐
6 川崎宗則 1885.6.2 - 1886.6.4 中佐
7 目加田健 1886.6.5[2] - 1888.6.19 中佐、死去
8 三好成行 1888.6.20[2] - 1895.8.19
9 酒井元太郎 1895.8.20[2] - 1903.4.29 中佐、1899.8.大佐
10 大内守静 1903.5.1[2] - 1904.9.4 中佐、1903.12.大佐、戦死
11 野溝甚四郎 1904.9.5[2] - 1906.3.14 中佐、大佐昇進
12 井野口春淸 1906.3.15[2] - 1906.5.13 中佐
13 天野清 1906.3.14[2] - 1907.5.12 中佐、大佐昇進
14 明石元二郎 1907.5.13[2] - 1907.10.6
15 白水淡 1907.10.7[2] - 1910.10.9 中佐、大佐昇進
16 堀尾晴光 1910.10.10[2] - 1915.8.10
17 梅津忠清 1915.8.10[2] - 1916.11.14
18 白石通則 1916.11.15[2] - 1918.7.24[3]
19 川島義之 1918.7.24 - 1919.7.25
20 永谷清治 1919.7.25 - 1920.8.10[4]
21 浅田良逸 1920.8.10 -
22 江田敬三郎 1921.8.8 - 1923.8.6[5]
23 仙波安芸 1923.8.6 -
24 吉富庄祐 1924.7.16 -
25 松田巻平 1926.7.28 - 1928.8.10
26 磯谷廉介 1928.8.10 -
27 志波池幸平 1930.3.6 -
28 林大八 1931.8.1 - 1932.3.1 戦死
29 五十嵐房吉 1932.3.11 -
30 北原一視 1934.3.5 -
31 青木重誠 1936.8.1 -
32 伊佐一男 1937.8.2 -
33 藤岡武雄 1938.7.15 -
34 庄下亮一 1941.3.1 -
35 有馬純雄 1942.8.1 -
朝生平四郎 1943.8.2 -

脚注

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  1. ^ 『官報』第493号、大正3年3月24日。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 歩兵第七聯隊史 : 附・下士優遇及志願心得』帝国聯隊史刊行会、1918年。doi:10.11501/941893https://dl.ndl.go.jp/pid/941893/1/16 
  3. ^ 『官報』第1794号、大正7年7月25日。
  4. ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
  5. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
  • 原 剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目

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