毛利 房郷(もうり ふささと)は、戦国時代武将。初め大内氏に属し、後に毛利氏家臣となる。父は毛利房元。毛利氏家臣となって以後は苗字を改め、「林房郷」と名乗った。

 
毛利房郷
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 毛利房郷→林房郷
別名 通称:三郎→左衛門尉
主君 大内義隆義長毛利元就
氏族 大江姓毛利氏
父母 父:毛利房元
林二右衛門
テンプレートを表示

生涯 編集

大内氏配下で周防国玖珂郡山代庄[1]の志不前郷・貞宗名15石を領した毛利房元の子として生まれる。

天文20年(1551年5月23日に父・房元の所領を相続することを大内義隆から認められた。同年9月1日大寧寺の変で大内義隆が陶晴賢に討たれたため、以後は大内義長に仕えた。

天文24年(1555年6月23日に父・房元に対して、陶晴賢より「備前守」の挙状が出されているが、同年10月1日厳島の戦い以前に毛利元就に帰順。毛利氏に属してからは苗字を改めて「林房郷」と名乗り、天文24年(1555年10月22日毛利隆元から「左衛門尉」の官途名を与えられた。

その後の房郷の動向は不明だが、子の林二右衛門が後を継ぎ、子孫は引続き毛利氏に仕えて長州藩士となっている。

脚注 編集

  1. ^ 現在の山口県岩国市本郷町および錦町

参考文献 編集