水原城(すいばらじょう)は越後国蒲原郡水原(現在の新潟県阿賀野市)にあった日本の城[1]

logo
logo
水原城
新潟県
城郭構造 平城
築城主 水原盛家
築城年 14世紀中頃
主な城主 水原氏
廃城年 1598年
再建造物 水原代官所(復元)
位置 北緯37度50分23秒 東経139度13分52秒 / 北緯37.83972度 東経139.23111度 / 37.83972; 139.23111座標: 北緯37度50分23秒 東経139度13分52秒 / 北緯37.83972度 東経139.23111度 / 37.83972; 139.23111
テンプレートを表示

概要

編集

12世紀末より伊豆豪族であった大見氏が源頼朝により白河荘の地頭に任命され土着していた。14世紀中頃、武蔵野合戦にて武功を上げた大見盛家は足利尊氏より越後国蒲原郡白河之荘水原郷を与えられ、同地に城郭を建設し水原盛家と改めた[2][3]

その後代々水原氏の居城となっていたが、1582年天正10年)10月27日の放生橋の戦いで水原道家は戦死、上杉景勝は細越将監を城代に置いたが細越将監の内通によって水原城は新発田重家に引き渡され占領された[3][4][5]1583年(天正11年)8月27日に上杉氏が細越将監を討ち水原城を奪還してからは上杉氏の番城となっていたが、水原氏の断絶を惜しんだ上杉景勝は大関弥七に水原氏を継がせ、弥七は水原親憲と改めた[3][4]

1598年慶長3年)に会津転封になった上杉景勝と共に水原親憲が会津に赴いたため水原城は廃城となり、新発田城に入封した溝口秀勝によって跡地には陣屋が置かれた[3]。江戸期には水原代官所が置かれ、1995年平成7年)に復元されている[1]

所在地

編集

新潟県阿賀野市外城町10番5号[1]

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c 水原代官所|阿賀野市”. www.city.agano.niigata.jp. 2024年7月21日閲覧。
  2. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年7月21日閲覧。
  3. ^ a b c d 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年7月21日閲覧。
  4. ^ a b 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年7月21日閲覧。
  5. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年7月22日閲覧。