水島灘
岡山県・香川県の海域
概要
編集瀬戸内海の東部、本州と塩飽諸島、笠岡諸島、児島半島で囲まれた海域であり、備讃瀬戸、備後灘に隣接する。
倉敷市の水島地域の地名はここから由来している。海苔や貝類の養殖漁業が盛んであったが、高度経済成長期に伴う水島石油化学コンビナートの造成などの人間活動によって水質汚濁が顕著になり[1]、沿岸漁業は次々と姿を消した。近年は環境対策も進み、水質は改善されつつある。
笠岡湾はカブトガニの生息地で知られていたが、国営事業の干拓によって生息環境が大きく悪化した[2]。また、寄島園地は干拓事業によって陸続きになったものの、自然の砂浜が残る。
下津井は古い港町で、近世から昭和初期にかけて、港町として大いに栄えた。今日では漁業を中心とする閑寂な町並みで、タコ料理が名物。また、岡山県におけるシャコの主要な産地としても知られる[3]。
水島灘と船幽霊の伝説
編集水島灘は海が荒れやすく、瀬戸内海有数の船の難所として知られており、昔から難破が跡を絶たなかった。そのため、一帯には船乗りの亡霊が柄杓を求めて相手の船を沈めるという、船幽霊の伝説が残っている[4]。水島諸島の大柄杓島や小柄杓島といった地名はこの伝説に基づく[5]。
関連項目
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 柳哲雄, 1973年, 『水島灘・燧灘の流動と底質に関して』, 沿岸海洋研究, 第11巻,第1号, 8-12頁
- ^ 地球・人間環境フォーラム, 2020年09月15日, 第42回 干拓後に生き残ったカブトガニと漁業の今ー岡山・笠岡
- ^ 中力健治, 草加耕司, 山下泰司, 村山史康, 2018年, 『岡山県西部海域におけるシャコの成熟生態とその変化』, 岡山水研報告, 33号, 10-16頁
- ^ 水島灘の舟幽霊
- ^ 「船幽霊」を訪ねて