水野忠次
江戸時代前期の三河刈谷藩の世嗣。従五位下・和泉守。水野忠清の長男。早世。
水野 忠次(みずの ただつぐ)は、江戸時代前期の三河国刈谷藩の世嗣。官位は従五位下・和泉守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長9年(1604年) |
死没 | 寛永5年9月24日(1628年10月21日) |
戒名 | 上譽緑月増秋院 |
官位 | 従五位下和泉守 |
藩 | 三河刈谷藩世嗣 |
氏族 | 水野氏(忠清流) |
父母 | 水野忠清、前田利家養女・福寿院 |
兄弟 |
忠次、京極高三正室、山内忠直正室、 忠職、土方氏久正室、祖活、忠増、 有馬康純正室、菅沼定実正室、忠顕 |
略歴
編集刈谷藩主でのち信濃国松本藩初代藩主となる水野忠清の長男。母は前田利家の養女・福寿院(小林氏娘)。
水野忠清の嫡男として生まれ、元和4年(1618年)に徳川秀忠に拝謁し叙任する。しかし家督を相続することなく、寛永5年(1628年)に25歳で早世した。法名は上譽緑月増秋院。
代わって、弟・忠職が嫡子となった。