永寧府(えいねいふ)は、中国にかつて存在した明代から清代にかけて、現在の雲南省寧蒗イ族自治県四川省ムリ・チベット族自治県にまたがる地域に設置された。

概要

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1279年至元16年)、により北勝州・永寧州が置かれた。1283年(至元20年)、北勝州は北勝府に昇格した。北勝府と永寧州は麗江路軍民宣撫司に属した[1]

1382年洪武15年)、明により北勝府は北勝州に降格した。1406年永楽4年)、永寧州は永寧府に昇格した。1442年正統7年)、北勝州は直隷州に昇格した。永寧府は雲南省に属し、剌次和長官司・革甸長官司・香羅甸長官司・瓦魯之長官司の4長官司を管轄した[2]。阿氏が土司として知府を世襲した。

1698年康熙37年)、清により北勝州は永北府に昇格した。1770年乾隆35年)、永北府は永北直隷庁と改められた。永北直隷庁は雲南省に属し、華栄荘衙坪荘の2経歴司と蒗蕖土州と永寧土府に属する卜兀山・剌不・甲母・六捏山の4長官司を管轄した[3]

1913年中華民国により永北直隷庁は廃止された。

脚注

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  1. ^ 元史』地理志四
  2. ^ 明史』地理志七
  3. ^ 清史稿』地理志二十一