麗江府(れいこうふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の雲南省麗江市一帯に設置された。

雲南省の麗江府の位置(1820年)

概要 編集

1271年至元8年)、により茶罕章宣慰司が置かれた。1276年(至元13年)、茶罕章宣慰司は麗江路軍民総管府と改められた。1285年(至元22年)、麗江路軍民総管府は麗江路軍民宣撫司と改められた。麗江路軍民宣撫司は雲南等処行中書省に属し、北勝府順州永寧州蒗蕖州通安州宝山州巨津州蘭州の7州を管轄した[1]

1382年洪武15年)、明により麗江路軍民宣撫司は麗江府と改められた。1397年(洪武30年)、麗江府は麗江軍民府と改められた。麗江軍民府は雲南省に属し、通安州・宝山州・巨津州・蘭州の4州を管轄した[2]麗江木氏土司として知府を世襲した[3]

1659年順治16年)、により麗江軍民府は麗江土府と改められた。1723年雍正元年)、改土帰流により木氏は土知府から土通判に降格し、麗江土府は流官の統治する麗江府と改められた。麗江府は雲南省に属し、麗江県鶴慶州剣川州中甸庁維西庁の2庁2州1県を管轄した[4]

1913年中華民国により麗江府は廃止された。

脚注 編集

  1. ^ 元史』地理志四
  2. ^ 明史』地理志七
  3. ^ 『明史』土司伝五
  4. ^ 清史稿』地理志二十一