永楽(えいらく、영락)は、高句麗の第19代王である好太王の用いた元号。『好太王碑』において確認できるが、『三国史記』などの文献資料には見られない。

概要 編集

好太王は、即位した391年元年とする初の元号「永楽」を創設したとされるが、従来、高句麗は、中国皇帝天帝の子として天下を支配する命を受け、その支配は空間のみならず時間にも及ぶことを表象する中国元号の使用を受け入れており、中国属国であることを認めていた[1]。独自の元号を建てることは、中国皇帝の権威に対する挑戦であり、高句麗の中国からの独立宣言を意味する[1]

西暦との対照表 編集

永楽 元年? 2年? 3年? 4年? 5年 6年 7年 8年 9年 10年
西暦 391年 392年 393年 394年 395年 396年 397年 398年 399年 400年
干支 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子
永楽 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年
西暦 401年 402年 403年 404年 405年 406年 407年 408年 409年 410年
干支 辛丑 壬寅 癸卯 甲辰 乙巳 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌
永楽 21年? 22年?  
西暦 411年 412年
干支 辛亥 壬子

年代比定 編集

好太王が永楽太王と号し、以下の8件の使用例が碑文から確認できることから、永楽元年は391年(辛卯年)であると考えられている。また、『三国史記』高句麗本紀・好太王紀や同書・年表、『三国遺事』王暦には好太王の即位年を壬辰年(392年)としており、碑文に記す年代とは1年のずれがあるが、好太王の治世が22年に及んだことをもって永楽年号も22年目まで用いられたものと考えられている。

好太王碑文における永楽年号の使用例
  • 永楽五年歳在乙未
  • 六年丙申
  • 八年戊戌
  • 九年己亥
  • 十年庚子
  • 十四年甲辰
  • 十七年丁未
  • 廿年庚戌

脚注 編集

  1. ^ a b 伊藤一彦『7世紀以前の中国・朝鮮関係史』法政大学経済学部学会〈経済志林 87 (3・4)〉、2020年3月20日、173頁。 

参考文献 編集

  • 金富軾 著、井上秀雄 訳『三国史記』 第2巻、平凡社東洋文庫425〉、1983年。ISBN 4-582-80425-X 
  • 金富軾 著、井上秀雄 訳『三国史記』 第3巻、平凡社東洋文庫454〉、1986年。ISBN 4-582-80454-3 
  • 一然 著、坪井九馬三日下寛 訳『三国遺事国立国会図書館〈文科大学史誌叢書〉、1904年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集