初代 江原 桂三郎(えはら けいざぶろう、1863年3月9日文久3年1月20日[1][2]) - 1929年昭和4年)6月6日[3])は、明治から大正時代の政治家実業家群馬県前橋市長。第12代群馬県会議長。

経歴

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坂本金十郎の三男[注 1]として[1]、のちの埼玉県児玉郡に生まれる[4]1892年明治25年)第1回前橋市会議員選挙に当選。1896年(明治29年)から翌年まで市会副議長、1898年(明治31年)から1903年(明治36年)まで市会議長を務める。1903年(明治36年)に群馬県会議員に当選、1905年(明治38年)県会議長となる[2]1910年(明治43年)2月、前橋市長に就任し、市長在職中に一府十四県連合共進会の開催、市立高等女学校の開設などを行い、翌1911年(明治44年)9月20日退職[2]1922年大正11年)から1929年(昭和4年)まで前橋商業会議所会頭[5]

ほか、上毛倉庫社長、上毛物産銀行専務取締役、三十九銀行取締役、群馬中央銀行頭取、群馬県農工銀行頭取などを歴任した[1][2]

1929年(昭和4年)6月6日死去。同日付で正七位に叙される[6]。墓所は天川町(現・朝日町4丁目)の千日庵[2]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『群馬県の代表的人物並事業』75頁では二男。

出典

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1915, え1頁.
  2. ^ a b c d e 前橋市史編さん委員会 1978, pp. 194–195.
  3. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、632頁。
  4. ^ a b 蛯名 1917, 75頁.
  5. ^ 前橋市史編さん委員会 1978, p. 665.
  6. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月23日閲覧。

参考文献

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議会
先代
関根作三郎
  群馬県会議長
第12代:1905年 - 1907年
次代
星野源左衛門
公職
先代
稲葉秀作
 群馬県前橋市長
1910年 - 1911年
次代
今鉄平