前橋市

日本の群馬県の都市、群馬県庁所在地

前橋市(まえばしし)は、群馬県の中南部に位置する。群馬県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。県内では高崎市に次ぐ第2位の人口を抱える。またこの市を中心とする前橋都市圏は北関東1位の人口規模を誇る。

まえばしし ウィキデータを編集
前橋市
前橋市旗 前橋市章
前橋市旗 前橋市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
市町村コード 10201-6
法人番号 9000020102016 ウィキデータを編集
面積 311.59km2
総人口 326,229[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 1,047人/km2
隣接自治体 高崎市桐生市伊勢崎市渋川市沼田市北群馬郡吉岡町榛東村佐波郡玉村町
市の木 ケヤキイチョウ
市の花 バラツツジ
キャッチフレーズ 水と緑と詩のまち
前橋市役所
市長 小川晶
所在地 371-8601
群馬県前橋市大手町二丁目12番1号
北緯36度23分22秒 東経139度03分48秒 / 北緯36.3895度 東経139.06344度 / 36.3895; 139.06344座標: 北緯36度23分22秒 東経139度03分48秒 / 北緯36.3895度 東経139.06344度 / 36.3895; 139.06344

前橋市役所
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

前橋市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項
平成の大合併前の前橋市
ウィキプロジェクト

1889年に東群馬郡前橋町として町制施行。1892年市制。2001年に特例市、2009年に中核市へ指定される。周辺町村の編入により、勢多郡(旧:東群馬郡南勢多郡)・群馬郡(旧:西群馬郡)・佐波郡(旧:那波郡)の旧区域にまたがっている。

概要 編集

戦国時代には厩橋という地名であり、江戸時代前橋に改められた。

江戸時代には前橋城を藩庁とした前橋藩城下町となったが、前橋城が廃城となり川越藩の飛び地となった時期もあった。

明治時代には製糸業で栄えた都市の一つとなった。第二次世界大戦後は工場誘致を積極的に行い、同時に区画整理を推進した。群馬県の県庁所在地である一方、県内の交通・商業の中心は一部新幹線も停車する高崎駅を擁する高崎市が担っており、前橋市は行政都市である。隣接する高崎市などともに前橋都市圏を形成しており、都市圏としては北関東最大の規模である。

2001年4月1日に特例市に指定、2009年4月1日に中核市へ移行した。行政の中心地域は旧東群馬郡前橋町を中心とする地域である。

ニュースなどでは「まえばし」の「え」の部分のみが高いアクセントで読まれるが、地元では平板型アクセントで発音するのが普通である。「前橋市」と読むときの「まえばし」である。NHKでは2016年にアクセント辞典を改訂した際、「まえ\ばし」を第1アクセントとしつつ、平板型の発音も「地元放送局アクセント」として許容している[1]

市章1909年の制定で、旧前橋藩主・越前松平氏馬印「輪貫」(わぬき)から採用された[2]。外円と内円の半径比は1対0.73に規定されている[2]

市歌1982年11月1日制定の「赤城嶺に」(作詞・和田利男、作曲・川崎祥悦)。日本の自治体歌としては珍しい交声曲(カンタータ)で、通常は後半3分の1に当たる部分の短縮版が演奏されるが完全版は約30分に及ぶ長大な楽曲である。

「前橋」の地名 編集

厩橋から前橋へ 編集

『前橋風土記』『直泰夜話』が前橋の古名を厩橋と伝える通り、前橋という地名が生まれる前、戦国時代の地名は厩橋であった。

「厩橋」の確実な文献上の初出は大永7年(1527年[注 1]の「長尾顕景書状」に現れる「厩橋宮内大輔」という人名である[3]

「前橋」の表記が初めて現れるのは天正17年(1589年)の「北条家人数付」(『群馬県史・資料編7』『新編高崎市史・資料編4』所収)であり、これ以降「厩橋」と「前橋」が混在して使われている[4]

『直泰夜話』には酒井忠挙の時代に公儀に届出をして「厩橋」から「前橋」に改めたとあるが、史料上はそれより前の酒井忠清時代の慶安2年(1649年)以降は一貫して「前橋」表記となる[5]

「まやはし」と「まへはし」 編集

「厩橋」の読みは通説では「まやは(ば)し」とされてきた[注 2]

その根拠は、前述の「長尾顕景書状」と一連のものである「徳雲軒性福条書写」において「まやはし殿」が現れる[6]他、長楽寺の僧義哲による『永禄日記』(永禄8年(1565年))では「マヤ橋」、酒井忠世による元和年間の文書にも「まやはし」とあるためである。このため、「厩橋=うまやはし」から「まやはし」に音が転化し、それに対し「前橋」と書かれるようになった、と説明されてきた[3]

他方で、「厩橋」を「まへはし」と読む史料も存在し、1510~1560年と推定される和歌山県熊野那智大社実報院『諸国旦那之大帳』で、「まへはし殿」が現れる。また天文21年(1552年)に日叙(身延山久遠寺15世)が満善寺(伊勢崎市)で書いた「仁王経科註見聞私」の奥書に「厩橋」に「マヘハシ」との振り仮名がある[7]

「前橋」表記が生まれる前から併存していた「まやはし」と「まへはし」の読みであるが、地名表記が「前橋」に統一された後も両者は併存し続け、万延元年(1860年)の各国武鑑においても「まやはし」との記述が見られる[8]

「厩橋」の由来に関する俗説と批判 編集

平岩親吉由来説 編集

『直泰夜話』に、「平岩殿など在城のころは、利根川細くて、厩廓より利根川に橋を架けて、古市村の方へ往来有りし故、厩橋と申し候。」とあるが、上述の通り厩橋は平岩氏入城以前からある地名である[3]

駅(うまや)由来説 編集

尾崎喜左雄『前橋小史』などに引かれる説で、古代東山道のうち、群馬(くるま)の駅は上野国府元総社町)付近と想定されるところ、その駅の近くにあった橋に由来して厩橋という地名が付けられたとする[3]

しかしながら、上述のように厩橋の地名の初出は戦国時代であり、それ以前は『吾妻鏡』『東路の津登』といった近辺の地名(大胡、青柳など)の現れる文献中にも見られない。したがって、厩橋を古代の駅に由来する地名とみるには、史料が不足している[9]

地理(2009年以後) 編集

 
JR東日本群馬総社駅近辺を蛇行する利根川と前橋市街。利根川の奥は烏川

平成の合併により、面積は2倍ほどになった。 そのため、現市域は関東平野の北西端、赤城山の南麓から平野にかけて位置する。全国の都道府県庁所在地では海から最も遠い。 市内には利根川広瀬川などの利根川水系が流れる。 広瀬・桃ノ木川以北は赤城山麓(丘陵、扇状地、緩やかな平地)が広がる。広瀬・桃ノ木川以西南は広瀬低地面帯、利根・端気川以西は前橋台地である。

中心の鉄道交通は両毛線で、特に前橋駅駒形駅があるが、群馬県の主要幹線(北陸新幹線上越新幹線および高崎線)から外れている。よって、主要の停車駅の高崎駅につながるには、新前橋駅を通じなければならい。 上毛電鉄も存在するが、始発点ともに他の幹線に接続していないため利用者は少なく、主要であるとは言えない。

また、海岸より100km以上離れた内陸に位置するにもかかわらず、現市域の中南部以南は海抜が100m前後と低い[10]。また、市の北部には海抜1,000m以上の地点も存在し、旧富士見村の赤城山(特に黒檜山)南面は1,800m以上の地点がある一方、下阿内町の利根川河川敷では海抜60m強である[10]。よって、市内で標高差が1,700m以上もある。 なお、最高地点は約1,826mで、黒檜山(1,828m)山頂より僅かに南にずれた地点である。

  • 山岳:赤城山系 − 駒ヶ岳(1,685m)、地蔵岳(1,674m)、長七郎山(1,579m)、荒山(1,572m)、鈴ヶ岳(1,565m)、鍋割山(1,332m)
  • 河川・用水:利根川、広瀬川、桃ノ木川、荒砥川、赤城白川、粕川、寺沢川、大正用水、群馬用水
  • 湖沼:大沼、小沼、覚満淵、千貫沼、荒子沼、五料沼、乾谷沼、吉沼
1986年(昭和61年)撮影の旧前橋町中心の空中写真。利根川が北から南へ流れる。1986年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

気候 編集

太平洋側気候内陸性気候を併せ持つ。の群馬県は新潟県長野県から北西の季節風が吹き、県境の山岳部に甚大な積雪をもたらす。が、県中部の前橋市域に達するころには乾燥している。この季節風は「からっ風」や、赤城山を吹き下ろすため「赤城颪」と呼ばれる。この影響で冬は晴天の日が多いが、数年に一度30cmを超える激しい大雪に見舞われることもあり、平成26年豪雪で前橋観測所は観測所の史上最高となる最深積雪73cmを記録した。

群馬県の平野部にある前橋市、伊勢崎市から埼玉県熊谷市にかけての高崎線沿線沿いの上武地域は冬の最低気温が比較的高く、南関東内陸部の地点(東京都府中市八王子市神奈川県海老名市千葉県佐倉市など)よりも高いことが多い。

は内陸部に位置するため地表が温まりやすく、埼玉県熊谷市などと並び暑さが烈しい。2001年(平成13年)7月24日には最高気温40.0°Cを観測。気象官署[注 3] で40°C以上の最高気温を観測したのは、1978年昭和53年)8月3日山形県酒田市で最高気温40.1°Cを観測して以来23年振りであり、平成初の記録であった。更に、この高温多湿などにより、が多い特徴がある。

前橋市昭和町(前橋地方気象台、標高112m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22.0
(71.6)
24.6
(76.3)
27.1
(80.8)
32.4
(90.3)
36.5
(97.7)
39.5
(103.1)
40.0
(104)
39.8
(103.6)
38.1
(100.6)
33.0
(91.4)
27.3
(81.1)
25.2
(77.4)
40.0
(104)
平均最高気温 °C°F 9.1
(48.4)
10.0
(50)
13.5
(56.3)
19.3
(66.7)
24.2
(75.6)
26.8
(80.2)
30.5
(86.9)
31.7
(89.1)
27.3
(81.1)
21.7
(71.1)
16.4
(61.5)
11.5
(52.7)
20.2
(68.4)
日平均気温 °C°F 3.7
(38.7)
4.5
(40.1)
7.9
(46.2)
13.4
(56.1)
18.6
(65.5)
22.1
(71.8)
25.8
(78.4)
26.8
(80.2)
22.9
(73.2)
17.1
(62.8)
11.2
(52.2)
6.1
(43)
15.0
(59)
平均最低気温 °C°F −0.5
(31.1)
0.0
(32)
3.1
(37.6)
8.2
(46.8)
13.6
(56.5)
18.0
(64.4)
22.0
(71.6)
23.0
(73.4)
19.3
(66.7)
13.2
(55.8)
6.9
(44.4)
1.9
(35.4)
10.7
(51.3)
最低気温記録 °C°F −11.8
(10.8)
−9.0
(15.8)
−7.8
(18)
−3.1
(26.4)
0.3
(32.5)
6.0
(42.8)
11.9
(53.4)
13.6
(56.5)
8.4
(47.1)
0.6
(33.1)
−3.5
(25.7)
−7.4
(18.7)
−11.8
(10.8)
降水量 mm (inch) 29.7
(1.169)
26.5
(1.043)
58.3
(2.295)
74.8
(2.945)
99.4
(3.913)
147.8
(5.819)
202.1
(7.957)
195.6
(7.701)
204.3
(8.043)
142.2
(5.598)
43.0
(1.693)
23.8
(0.937)
1,247.4
(49.11)
降雪量 cm (inch) 8
(3.1)
9
(3.5)
2
(0.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
1
(0.4)
19
(7.5)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 3.5 4.4 8.3 9.0 10.6 14.5 16.6 14.0 13.4 9.9 6.1 3.8 114.2
平均降雪日数 7.6 7.9 5.6 0.5 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.2 4.2 26.1
湿度 54 52 52 55 60 70 73 72 72 68 62 57 62
平均月間日照時間 213.1 201.2 211.0 205.2 197.4 138.5 146.3 167.7 134.9 155.6 181.0 202.0 2,153.7
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1896年-現在)[11][12]


現在隣接する自治体 編集

群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)

歴史 編集

先史 編集

旧石器時代

縄文時代

  • 荒砥、桂萱、芳賀、南橘、宮城、粕川、大胡、富士見などの赤城南麓の地域や、総社町総社などで多数の縄文土器や住居跡が発掘されている。[16]
  • 縄文時代の遺跡では、市之関町の市之関縄文前期遺跡、粕川町室沢の大平縄文住居跡遺構、大林縄文住居跡遺構が前橋市指定史跡となっている。

弥生時代

古代 編集

 
櫃石

古墳時代

  • 前橋市内にはおびただしい数の古墳が所在しており、1935年(昭和10年)の群馬県下一斉調査の結果をまとめ刊行した『上毛古墳綜覧』によれば県下の古墳8423基のうち現在の前橋市内に位置するものは918基である(ただし現在では古墳と認められないものも含んでおり、逆に記載漏れの古墳もある)。
  • 古墳のうち国指定史跡のものが8件9基、群馬県指定史跡のものが5件5基、前橋市指定史跡のものが17件17基ある。
  • 朝倉・広瀬地区の朝倉・広瀬古墳群西大室町大室古墳群、総社地区の総社古墳群など、大古墳を有する古墳群が各地に見られ、上毛野君、朝倉君、有馬君(阿利真公)等の豪族との関連が指摘されている。[19]
  • 古墳時代の遺物では、前橋天神山古墳出土品が国の重要文化財に指定されている他、カロウト山古墳石棺が中川小学校に、埴輪踊る男子像芳賀小学校に所蔵され前橋市指定文化財となっている。
  • 三夜沢町に所在する櫃石は、古墳時代の勾玉や土師器も出土する古代祭祀遺跡で、群馬県指定史跡に指定されている。

飛鳥時代

奈良時代

  • 上野国分寺・国分尼寺は群馬郡に置かれ、元総社町から高崎市東国分町・引間町にかけて国指定史跡上野国分寺跡が位置し、その約500メートル東に国分尼寺が存在したと考えられている。
  • 国郡里制において現在の前橋市に含まれる地域としては那波郡勢多郡、群馬郡があげられるが、平安時代の『倭名類聚抄』には那波郡7郷、勢多郡9郷、群馬郡13郷が記載されているので、その一部が前橋市内に該当すると考えられる。

平安時代

中世 編集

 
二宮赤城神社の宝塔

鎌倉時代

  • 義経記』『平家物語』『平治物語』といった鎌倉時代成立の軍記物語には上野国の武士として「大胡太郎」「大室太郎」などの名が登場し[21]、『吾妻鏡』においても大胡太郎をはじめとする大胡氏の御家人が現れる。
  • 前橋市内に存在した中世の荘園としては、拝志庄、大室庄、青柳御厨、細井御厨の名が史料上確認できる。
  • 粕川流域の赤城南麓に、中世の多宝石塔で塔身が甕形の特徴を有するものが分布していることから、これらを赤城塔と称する[22]小鳥が島の宝塔(応安5年(1372年)、富士見町赤城山)が塔下より出土した鏡及び経筒残決とともに群馬県指定重要文化財に指定されているほか、山王の宝塔(南北朝時代、山王町)、二宮赤城神社の宝塔(南北朝時代、二之宮町)、富田の宝塔(室町時代、富田町)、大福寺の宝塔(応永25年(1418年)、鳥羽町)、観昌寺の宝塔(南北朝時代、西大室町)、江木の宝塔(室町時代、江木町)、宿の平の宝塔(元享4年(1324年)、苗ヶ島町)、小林の赤城塔(苗ヶ島町)、鼻毛石の宝塔(南北朝時代、鼻毛石町)、三夜沢赤城神社の宝塔(三夜沢町)、赤城塔(並木道祖神)(苗ヶ島町)、三ケ尻の宝塔(鎌倉時代、粕川町深津)、珊瑚寺の多宝塔(室町時代、富士見町石井)、時沢の多宝塔(南北朝時代、富士見町時沢)が前橋市指定重要文化財となっている。

南北朝時代

室町時代

近世 編集

江戸時代

  • 慶長6年(1601年)2月、総社藩主諏訪頼水が諏訪へ復帰、秋元長朝が6千石で入封。
  • 慶長6年(1601年)12月、前橋藩主平岩親吉が甲斐へ転封、酒井重忠が武蔵川越から3万3千石で入封。
  • 慶長9年(1604年)、秋元長朝が総社領内に天狗岩用水開削。
  • 元和2年(1616年)7月、大胡藩主牧野忠成が越後長峰へ転封。以降大胡は前橋藩領となる。
  • 寛永10年(1633年)2月、総社藩主秋元泰朝が甲斐谷村へ転封。総社領1万石は前年に高崎に幽閉された徳川忠長の小遣料として高崎藩安藤重長に与えられる。
  • 貞享元年(1684年)前橋藩主酒井忠挙の命により藩儒古市剛が『前橋風土記』編纂。
  • 元禄12年(1699年)8月15日、大風水害。前橋藩領で百姓屋5167軒、侍屋敷41軒、町屋79軒が倒壊、死者8人[25]
  • 寛延2年(1749年)1月、前橋藩主酒井忠恭姫路へ転封、松平朝矩が15万石で入封。
  • 宝暦6年(1766年)5月13日、宝暦の大火。百軒町(現在の朝日町1、2町目)より出火、342軒焼失。
  • 明和4年(1767年)4月1日、明和4年の大火。柳町(現在の大手町3丁目の一部)より出火、577軒焼失。
  • 明和4年(1767年)9月、松平朝矩が居城を川越城へ移す。
  • 明和7年(1770年)3月7日、明和7年の大火。板屋町(現在の千代田町4丁目)より出火、411軒焼失。
  • 明和8年(1771年)1月12日、明和8年の大火。向町(現在の住吉町1丁目?)より出火、609軒焼失。
  • 明和9年(1772年)11月14日、明和9年の大火。横町(現在の千代田町2、4丁目)より出火、305軒焼失。
  • 安永5年(1776年)11月「力田遺愛碑」(群馬県指定史跡)建立。
  • 安永9年(1779年)11月8日、安永9年の大火。向町(現在の住吉町1丁目?)より出火、482軒焼失。
  • 天明3年(1783年天明の浅間山噴火。7月8日には前橋陣屋付近で5、6寸の降灰。人家や家財を押し流した黒色の泥流が利根川・広瀬川を下り、大渡・実政の関所に被害を与えたことが記録される。総社町に流れ着いた多くの死体が地元民の手により埋葬され、翌年建立された供養碑が元景寺の境内に現存する。
  • 寛政2年(1790年寛政の改革にあわせ、前橋藩で社倉設置令を布達。寛政8年(1796年)建築の上泉郷倉が上泉町に現存し、群馬県指定史跡となっている。「前橋惣町家数人別書上帳」によって判明する前橋町の人口戸数は同年が最古で、町分・寺社人口4308人、家数1088軒。
  • 寛政10年(1798年)以降前橋町の人口は減少に転じる。人口4613人。
  • 天保11年(1840年川越藩主松平斉典庄内転封の命令が下る(翌年天保義民事件により撤回)。前橋町の人口は最少の3628人、家数909軒。
  • 嘉永7年(1854年)前橋町の人口5037人、家数1206軒。
  • 文久元年(1861年)6月1日、本町に生糸改会所設置。
  • 慶応3年(1867年)前橋城再築、翌年松平直克が入る。

近現代 編集

明治時代

  • 明治2年(1869年)6月18日、版籍奉還。松平直克が前橋藩知事となる。
  • 明治3年(1870年)6月21日、前橋藩士速水堅曹が日本最初の器械製糸場を細ヶ沢(現在の住吉町)に創設。
  • 明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県により前橋県となる。
  • 明治4年(1871年)10月28日、第一次群馬県成立、県庁は高崎。
  • 明治5年(1872年)6月15日、前橋城跡に県庁移転。
  • 明治5年(1872年)10月15日、郵便取扱所(現在の前橋中央郵便局)設置。
  • 明治5年(1872年)11月22日、厩橋学校が曲輪町に開校。
  • 明治6年(1873年)2月1日、小学教員伝習所が源英寺内に開校。
  • 明治6年(1873年)6月15日、群馬県を廃止、熊谷県成立。
  • 明治9年(1876年)8月21日、熊谷県の名称を群馬県に変更する形で第二次群馬県成立。県庁は高崎。
  • 明治9年(1876年)9月21日、前橋に仮県庁を置くとの布告が出される。
  • 明治9年(1876年)の前橋町の人口は10668人(士族約4000人、平民約6700人)、戸数は約2500軒(郡村誌)。
  • 明治10年(1877年)10月15日、前橋に電信が開通。
  • 明治11年(1878年)11月12日、第三十九国立銀行が本町で開業。
  • 明治14年(1881年)2月16日、前橋に県庁移転。
  • 明治17年(1884年)4月11日、群馬県庁と前橋警察署間に初の電話回線が開設される。
  • 明治17年(1884年)8月20日、内藤分村(現在の石倉町1丁目)に前橋停車場開業。
  • 明治18年(1885年)木造の初代利根橋架橋。
  • 明治18年(1885年)3月20日、臨江閣本館落成。
  • 明治20年(1887年)11月1日、県下初の日刊紙『上毛新聞』刊行。ただし当時は月曜休刊だった。
  • 明治21年(1888年)1月、前橋監獄竣工。
  • 明治22年(1889年)4月1日、東群馬郡前橋町成立。町長取扱宮島一正。
  • 明治22年(1889年)5月6日、第1回町会開催、松本真三が町長に就任。
  • 明治22年(1889年)11月20日、田中町(現在の前橋駅の位置)に前橋駅開業。
  • 明治22年(1889年)12月26日、利根川の鉄道橋梁が開通。
  • 明治23年(1890年)10月4日、松本真三が町長辞職。
  • 明治24年(1891年)3月、町会で黒崎長左衛門を町長に選任。
  • 明治25年(1892年)4月1日、市制施行。5月19日初代市長に下村善太郎が就任することが裁可される。
  • 明治27年(1894年)5月、前橋で最初の水力発電所が総社町植野の天狗岩用水立石橋付近で運転を開始、前橋電燈株式会社が営業開始。
  • 明治29年(1896年)前橋商議会(現在の前橋商工会議所)が結成。
  • 明治35年(1902年)8月1日、前橋電話交換局設置。
  • 明治38年(1905年)12月8日、前橋公園設置が市会で議決。
  • 明治43年(1910年)9月17日 - 11月15日、一府十四県連合共進会開催。清王子町(現在の日吉町1丁目)に第一会場、連雀町(現在の本町1丁目)に第二会場、紅雲町(現在の紅雲町2丁目)に第三会場を設けた。
  • 明治43年(1910年)10月、前橋渋川間の馬車鉄道が電化され電車の運転を開始。
  • 明治44年(1911年)前橋‐高崎間の最初の乗合自動車(T型フォード)が開業したが、短期間で廃止された[26]

大正時代~昭和戦前

  • 大正10年(1921年)7月1日、上越線が渋川まで開業。新前橋駅群馬総社駅が新設。
  • 大正11年(1922年)11月、敷島公園開設のための官有地払下げが許可。
  • 昭和3年(1928年)11月21日、上毛電気鉄道営業開始。
  • 昭和4年(1929年)3月21日、浄水場(現在の前橋市水道資料館)で水道通水式。
  • 昭和8年(1933年)6月23日、前橋放送局(JOBG)が開業。
  • 昭和9年(1934年)千代田町に県下初の百貨店、麻屋百貨店開業。
  • 昭和20年(1945年)8月5日、前橋大空襲。死者535人、被害家屋11518棟。

戦後

  • 昭和22年(1947年)4月5日、関口志行が最初の公選により第12代前橋市長に就任。
  • 昭和22年(1947年)9月14日 ‐ 15日、カスリーン台風。前橋測候所では2日間で391.6ミリの雨量を記録[27]。 カスリーン台風の集中豪雨により桃ノ木川が氾濫。死者・行方不明者26人以上、家屋70戸以上が流出など被害多数。旧市での全壊流出家屋51。
  • 昭和26年(1951年)人口が10万人を突破。
  • 昭和28年(1953年)10月14日、群馬大橋開通。
  • 昭和29年(1954年)路面電車廃線。
  • 昭和33年(1958年)1月30日から2月20日にかけて、131件の連続放火が発生。容疑者は同年3月6日に逮捕[28]
  • 昭和41年(1966年)3月、国道17号高前バイパス開通。
  • 昭和41年(1966年)8月、赤城有料道路完成。
  • 昭和41年(1966年)人口が20万人を突破。
  • 昭和44年(1969年)6月10日、東部バイパス舗装工事完了。
  • 昭和45年(1970年)6月1日、産業道路開通式。
  • 昭和46年(1971年)4月16日、群馬テレビ本放送開始。
  • 昭和55年(1980年)7月17日、関越自動車道が前橋まで開通。
  • 昭和57年(1982年)11月3日、市民文化会館開館。
  • 平成2年(1990年)5月31日、グリーンドーム前橋完成。 1990年5月31日、グリンドーム前橋完成。
  • 平成16年(2004年)12月5日、勢多郡大胡町・宮城村・粕川村を編入合併したことにより人口が30万人を突破。
  • 平成29年(2017年)3月19日、市内域の上武道路が全線開通。

町制以降の自治体の歴史 編集

町制・市制 編集

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東群馬郡から前橋曲輪町、前橋北曲輪町、前橋南曲輪町、前橋神明町、前橋柳町、前橋石川町、前橋堀川町、前橋田中町、前橋横山町、前橋本町、前橋竪町、前橋桑町、前橋萱町、前橋榎町、前橋田町、前橋立川町、前橋紺屋町、前橋連雀町、前橋相生町、前橋中川町、前橋片貝町、前橋新町、前橋芳町、前橋百軒町、前橋大塚町、天川村および紅雲分村、前代田村、宗甫分村、天川原村の各一部、南勢多郡から前橋小柳町、前橋細ヶ沢町、前橋諏訪町、前橋向町、前橋神明町、才川村、清王寺村、岩神村、一毛村、国領村、萩村の区域をもって東群馬郡前橋町が成立。町役場は横山町24番地に置かれる。
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 東群馬郡前橋町が市制施行して前橋市となる。町村制施行によって市とした場合を除くと、初の市制施行である。関東地方では水戸市横浜市東京市(現東京都区部)に次いで4番目。

周辺町村との境界変更・合併 編集

高崎市との関係 編集

 
前橋市への県庁誘致に尽力した初代前橋市長・下村善太郎
 
明治時代の群馬県庁

前橋市と隣接する高崎市は、競合・対立関係にあるとされることがある。

前橋は群馬県庁舎が置かれており、日本銀行の支店、国の出先機関や大手金融機関、県民会館に代表される県の施設などが集中するなど、明治時代以降、行政の中心地として機能してきた。

これに対し、高崎は古代から東山道鎌倉街道が開け、江戸時代には中山道三国街道日光例幣使街道などの主要幹線が交差する一大交通拠点であり、現代においても新幹線や高速道路などの県内交通の拠点としての地位を占めていることによる。同じような例にかつての埼玉県さいたま市併合前における行政都市旧浦和市と、交通・商業都市旧大宮市がある。

両市の関係はいわゆる「両翼興県」であり、両市においての前橋・高崎連携事業でもキーワードとなっている。県庁が置かれ萩原朔太郎などの文人を輩出している「文化都市」前橋と、駅の周辺や古くからの街道沿いに商業施設が密集する「商業都市」高崎は、しばしば好対照として比較される。実際には、高崎市には県立美術館や地方オーケストラとして著名な群馬交響楽団といった文化施設・団体が存在したり、各大型商業施設を中心とした商圏は市境を超えて広がっている[1]といった側面もある。

両市の競合・対立関係は、以下に挙げる明治初期の県庁誘致合戦がその原因の一つである。

群馬県(第一次)は明治4年の廃藩置県で誕生した。その群馬県の県庁所在地は高崎で、庁舎が高崎城内に置かれていたが、高崎城の中に陸軍の軍事施設を作ることになり、県庁を「一時的」という約束で前橋に移転した。 明治6年、群馬県と入間県(現埼玉県北部)を合併し熊谷県としたため、県庁は熊谷に移転する。 明治9年になり、熊谷県は2つに分割され、南部は埼玉県に、北部は群馬県になった。その際、群馬県の県庁は高崎になる。以前の庁舎があった高崎城は軍事施設になっていたため、安国寺という場所に県庁を置いた。しかし、安国寺はかなり土地が狭く、多くの施設を置くことができなかった。 そのため庁舎の機能を近くに分散したが、非常に県庁としての機能と効率が悪くなってしまった。そこで当時の知事が前橋城に県庁を置きたいと、大久保利通に進言し移転された。

県庁が高崎市から前橋市に移転する際、知事は高崎に「移転するのは一時的で、土地の整備ができたら高崎に戻す」という約束をしていしたが、前橋市の方が土地活用の面で便利で、しかも地元の生糸商である下村善太郎らが多くの寄付をして前橋市に県庁を誘致していたこともあり、当初の約束が叶わなかった。高崎が「裏切られた」と県庁に抗議し、県庁移転問題は裁判沙汰へと発展した。

明治15年、裁判により高崎市は敗訴、県庁が前橋市に置かれることが正式に決定し、県庁を誘致していた生糸商、下村善太郎が初代の前橋市長に就任した。

高崎は、明治政府に県庁の奪還を幾度も訴えるが、いずれも却下されている。これにより、高崎・前橋は県庁所在地を原因に、両市民が互いに対抗意識を抱くこととなる。


現在では、前橋・高崎およびその周辺自治体の商工会議所などが主体となり、県央政令指定都市の実現を目指した活動や、両市役所による前橋高崎連携事業など官民一体となった活動が行われているなど新たな局面も生まれている。

地政的には、江戸時代の前橋藩領・高崎藩領は入り組んでいた。一例を挙げれば、現在は高崎名物とされる「縁起だるま」で知られている少林山達磨寺は、前橋藩を守護する寺院である。一方、上野国府や総社神社・国分寺を含む古代上野の中心地域は高崎藩領であり、利根川以西(前橋城(現在の群馬県庁舎)の対岸)にまで及んでいた。

高崎の藩域は、初代高崎藩主井伊直政の時代を除いて前橋藩を上回ることはなかった。しかし前橋藩主松平氏が利根川の氾濫で前橋城を廃し、江戸中期から幕末までの約100年間(江戸を中心に隆盛した化政文化時代を含む)は居城を川越に移したこと(川越藩の分領となる)などから、陣屋が置かれた前橋は城下町としての発展が少なかった。

1869年(明治2年)、明治政府により東京 - 京都の両市を結ぶ鉄道建設計画(中山道幹線)が発表され、1883年(明治16年)日本鉄道によって上野駅 - 熊谷駅間などが開業。翌1884年(明治17年)には上野駅 - 高崎駅間が開通した。古代から交通の要衝であった高崎は、交通の拠点として、また商都として発展することとなった。

後年、上越線開設の際にターミナル駅を巡って前橋・高崎間で誘致合戦が行われた。前橋駅をターミナルとする案は実現しなかったが、前橋側の圧力により、当初予定された三国街道(金古)を通る幹線ルートより、かなり東側を通過するルートで敷設され、新前橋駅経由で高崎駅がターミナルとなることで決着した。


現在の前橋・高崎の関係であるが、平成の合併で前橋は前橋広域圏であった1町3村を、高崎は高崎広域圏の3町1村に加え、多野郡2町をそれぞれ吸収合併した。両市が合併によって狙っていた権益地域を吸収したことにより、両市の合併という動きは下火になりつつある。

行政地域構成 編集

町丁・行政区 編集

本庁管内 編集

本庁管内9つの地区に細分化され、概ね各小学校区域に沿っている。

桃井地区 編集

  • 大手町一丁目(1966年に曲輪町、石川町、南曲輪町の各一部から成立)
  • 大手町二丁目(1966年に曲輪町、石川町、南曲輪町、北曲輪町の各一部から成立)
  • 大手町三丁目(1966年に曲輪町、北曲輪町、神明町の各一部及び岩神町西の全域から成立)
  • 紅雲町一丁目(1966年に紅雲町、石川町、南曲輪町の各一部から成立)
  • 紅雲町二丁目(1966年に紅雲町、石川町、南曲輪町、前代田町の各一部から成立)
  • 千代田町一丁目(1966年に北曲輪町、神明町の各一部から成立)
  • 本町一丁目(1966年に本町、曲輪町、南曲輪町、北曲輪町、堀川町、田町の各一部から成立)

中川地区 編集

  • 本町三丁目(1966年に天川原町の一部及び片貝町の全域から成立)
  • 三河町一丁目(1966年に萱町、芳町、大塚町、新町の各一部から成立)
  • 三河町二丁目(1966年に片貝町、大塚町、中川町の各一部から成立)
  • 朝日町一丁目(1966年に百軒町の一部から成立)
  • 朝日町二丁目(1966年に百軒町、新町、高田町の各一部から朝日町二丁目)
  • 朝日町三丁目(1966年に百軒町、新町、天川町、高田町の各一部から朝日町三丁目)
  • 朝日町四丁目(1966年に新町、天川町の各一部から成立)

敷島地区 編集

  • 昭和町一丁目(1965年に萩町、岩神町東の各一部から成立)
  • 昭和町二丁目(1965年に萩町、岩神町東の各一部から成立)
  • 昭和町三丁目(1965年に萩町、岩神町東、上小出町、下小出町の各一部から成立)
  • 平和町一丁目(1965年に向町、神明町、岩神町東の各一部から成立)
  • 平和町二丁目(1965年に向町、神明町、岩神町東の各一部から成立)
  • 住吉町一丁目(1966年に細ヶ沢町、向町、岩神町東の各一部及び琴平町の全域から成立)
  • 住吉町二丁目(1966年に細ヶ沢町、小柳町、清王寺町、栄町の各一部から成立)

南部地区 編集

  • 六供町一丁目(1967年に六供町、天川原町の各一部から成立)
  • 六供町二丁目(2023年に六供町の一部から成立)
  • 六供町三丁目(2023年に六供町の一部から成立)
  • 六供町四丁目(1967年に六供町、天川原町の各一部から成立)
  • 六供町五丁目(2023年に六供町の一部から成立)
  • 南町一丁目(1967年に紅雲町、宗甫分町の各一部から成立)
  • 南町二丁目(1967年に宗甫分町、六供町から成立)
  • 南町三丁目(1967年に紅雲町、宗甫分町、前代田町、天川原町から成立)
  • 南町四丁目(1967年に宗甫分町、市之坪町、天川原町から成立)

城東地区 編集

  • 日吉町一丁目(1966年に清王寺町、東町の一部から成立)
  • 日吉町二丁目(1966年に東町の一部から成立)
  • 日吉町三丁目(1966年に清王寺町、東町の一部から成立)
  • 城東町一丁目(1966年に清王寺町、栄町の各一部から成立)
  • 城東町二丁目(1966年に諏訪町、栄町の各一部から成立)
  • 城東町三丁目(1966年に諏訪町、一毛町の各一部から成立)
  • 城東町四丁目(1966年に一毛町の一部から成立)
  • 城東町五丁目(1966年に清王寺町、栄町の各一部から成立)

若宮地区 編集

  • 国領町一丁目(1966年に国領町、萩町の全域から成立)
  • 国領町二丁目(1966年に国領町、萩町の全域から成立)
  • 若宮町一丁目(1966年に清王寺町、才川町の各一部から成立)
  • 若宮町二丁目(1966年に清王寺町、才川町、清王寺町、国領町の各一部から成立)
  • 若宮町三丁目(1966年に才川町、国領町の各一部から成立)
  • 若宮町四丁目(1966年に才川町、東町の各一部から成立)
  • 日吉町四丁目(1966年に清王寺町、才川町、東町の各一部から成立)

天川地区 編集

  • 天川原町(合併後、1910年に大字天川原から天川原町に改称)
  • 天川原町一丁目(1967年に天川原町、六供町の各一部から成立)
  • 天川原町二丁目(1967年に天川原町、六供町、天川町の各一部から成立)
  • 天川町(合併後、1910年大字天川から天川町に改称) − 天川町と第一天川町
  • 文京町一丁目(1967年に中川町、天川原町、高田町の各一部から成立)
  • 文京町二丁目(1967年に天川町、天川原町、高田町の各一部から成立)
  • 文京町三丁目(1967年に天川町、天川原町、高田町の各一部から成立)
  • 文京町四丁目(1967年に天川町、高田町の各一部から成立)

岩神地区 編集

  • 敷島町(1954年に南橘村大字上小出川原の各一部を合併し成立)
  • 緑が丘町(1964年に川原町から分立)
  • 岩神町一丁目(1965年に岩神町西、神明町の各一部から成立)
  • 岩神町二丁目(1965年に岩神町西の一部から成立)
  • 岩神町三丁目(1965年に岩神町西の一部から成立)
  • 岩神町四丁目(1965年に岩神町西の一部から成立)

中央地区 編集

  • 千代田町二丁目(1966年に北曲輪町、桑町、竪町、横山町、立川町の各一部から成立)
  • 千代田町三丁目(1966年に竪町、立川町、栄町の各一部から成立)
  • 千代田町四丁目(1966年に横山町、立川町、榎町、桑町、紺屋町の各一部から成立)
  • 千代田町五丁目(1966年に榎町、紺屋町、萱町の各一部から成立)
  • 本町二丁目(1966年に本町、田町、相生町の各一部及び連雀町の全域から成立)
  • 表町一丁目(1966年に堀川町、南曲輪町、石川町、紅雲町、前代田町、田町の各一部から宝町一丁目が成立。同日、表町一丁目に改称)
  • 表町二丁目(1966年に田中町、相生町、前代田町、天川原町の各一部から宝町二丁目が成立。同日、表町二丁目に改称)

上川淵地区 編集

  • 上佐鳥町
  • 橳島町
  • 朝倉町 − 上朝倉町、下朝倉町
  • 朝倉町一丁目(1975年朝倉町の一部から成立)
  • 朝倉町二丁目(1975年に朝倉町の一部から成立)
  • 朝倉町三丁目(1975年に朝倉町の一部から成立)
  • 朝倉町四丁目(1975年に天川町、朝倉町、後閑町の各一部から成立)
  • 後閑町
  • 広瀬町一丁目(1975年に朝倉町、後閑町の各一部から成立)− 広瀬町一丁目、広瀬第一団地、広瀬町一丁目天神山、広瀬町一.二丁目南部
  • 広瀬町二丁目(1975年に後閑町、西善町の各一部から成立)− 自治会は広瀬町二丁目、広瀬町一.二丁目南部
  • 広瀬町三丁目(1975年に後閑町、山王町の各一部から成立)
  • 下佐鳥町
  • 宮地町
  • 西善町(1960年に玉村町から編入) − 西善町西善、西善町上両家、西善町下両家、西善町矢田
  • 中内町(1960年に玉村町から編入)
  • 東善町(1960年に玉村町から編入)
  • 山王町(1960年に玉村町から編入)
  • 山王町一丁目(1975年に山王町の一部から成立)
  • 山王町二丁目(1980年に東善町、下大島町、小屋原町、駒形町、山王町の各一部から成立)

下川淵地区 編集

芳賀地区 編集

桂萱地区 編集

  • 幸塚町
  • 上沖町
  • 下沖町
  • 東片貝町
  • 上泉町
  • 石関町
  • 亀泉町
  • 荻窪町
  • 堀之下町
  • 堤町 − 堤町、堤町北区、堤町ローズタウン
  • 江木町 − 江木町、江木町第二、江木団地、萱野団地、東ローズタウン
  • 三俣町一丁目(1977年に三俣町の一部から成立)
  • 三俣町二丁目(1977年に三俣町の一部から成立)
  • 三俣町三丁目(1977年に三俣町、幸塚町、下沖町、上沖町の各一部から成立)
  • 西片貝町一丁目(1977年に西片貝町、三俣町、上泉町の各一部から成立)
  • 西片貝町二丁目(1977年に西片貝町、三俣町、上泉町の各一部から成立)
  • 西片貝町三丁目(1977年に西片貝町の一部から成立)
  • 西片貝町四丁目(1977年に西片貝町の一部から成立)
  • 西片貝町五丁目(1977年に西片貝町、城東町四丁目、城東町五丁目の各一部から成立)

東地区 編集

  • 箱田町 − 東箱田後家町、西箱田町
  • 後家町 − 東箱田後家町
  • 前箱田町
  • 前箱田町二丁目(1966年に前箱田町から分立) − 前箱田町
  • 川曲町
  • 稲荷新田町
  • 下新田町 − 下新田町、下新田町南、下新田町東陽
  • 上新田町
  • 小相木町
  • 古市町
  • 江田町
  • 朝日が丘町(1963年に上新田町の一部から成立)
  • 光が丘町(1969年に小相木町、後家町、上新田町の各一部から成立)
  • 大利根町一丁目(1969年に上新田町、箱田町、後家町の各一部から成立) − 大利根町
  • 大利根町二丁目(1969年に上新田町、箱田町、稲荷新田町、下新田町の各一部から成立) − 大利根町
  • 新前橋町(1978年に石倉町、古市町の各一部から成立)
  • 古市町一丁目(1978年に古市町、小相木町、石倉町の各一部から成立。2016年箱田町の一部を編入) − 大利根町
  • 小相木町一丁目(1978年に小相木町、石倉町、古市町の各一部から成立) − 小相木町
  • 青葉町(1982年に前箱田町から分立)
  • 古市町二丁目(2016年に箱田町、古市町の各一部から成立) − 古市町

元総社地区 編集

  • 元総社町 − 元総社町第四、元総社町78
  • 元総社町一丁目(1977年に元総社町の一部から成立) − 元総社町第一
  • 元総社町二丁目(1977年に元総社町の一部から成立) − 元総社町第二
  • 元総社町三丁目(1977年元総社町、総社町総社の各一部から成立) − 元総社町第三
  • 大友町一丁目(1977年に大友町の一部から成立)
  • 大友町二丁目(1977年に大渡町、元総社町、石倉町、総社町総社の各一部から成立)
  • 大友町三丁目(1977年に大友町の一部から成立)
  • 大渡町
  • 大渡町一丁目(1977年に総社町総社、大友町、石倉町と大渡町から成立) − 大渡町
  • 大渡町二丁目(1977年に総社町総社、大友町、石倉町と大渡町から成立) − 大渡町
  • 石倉町(旧大字内藤分)− 石倉町上石倉、石倉町中部
  • 石倉町一丁目(1974年成立) − 石倉町中部
  • 石倉町二丁目(1958年成立) − 石倉町中部
  • 石倉町三丁目(1958年成立) − 石倉町中部石倉町四丁目(1983年成立) − 石倉町上石倉
  • 石倉町五丁目(1975年成立) − 石倉町上石倉
  • 鳥羽町 − 鳥羽町東部、鳥羽町西部
  • 問屋町一丁目(1969年総社町総社、大友町の各一部から成立) − 問屋町
  • 問屋町二丁目(1969年総社町総社、大友町の各一部から成立) − 問屋町
  • 下石倉町(1978年に小相木町、古市町、石倉町、大渡町の各一部が合併し成立)

総社地区 編集

  • 総社町植野
  • 総社町総社 − 総社大渡町、総社町粟島、総社町山王、総社町城川、総社町立石、総社町新田
  • 総社町高井
  • 高井町一丁目(1976年に総社町総社、総社町高井、総社町植野の各一部が合併し成立) − 総社町高井
  • 総社町桜が丘(1967年に総社町植野の一部が分立)
  • 総社町一丁目(1975年に総社町総社、大渡町の各一部が合併し成立) − 総社町巣烏
  • 総社町二丁目(1975年に総社町総社、大渡町の各一部が合併し成立) − 総社町野馬
  • 総社町三丁目(1975年に総社町総社、大渡町の各一部が合併し成立) − 総社町鍛冶町
  • 総社町四丁目(1975年に総社町総社、大渡町の各一部が合併し成立) − 総社町大屋敷

清里地区 編集

南橘地区 編集

  • 上細井町
  • 下細井町
  • 北代田町
  • 龍蔵寺町
  • 青柳町
  • 日輪寺町
  • 川端町
  • 田口町
  • 関根町
  • 関根町一丁目(1983年に関根町の一部から成立)
  • 関根町二丁目(1983年に関根町の一部から成立)
  • 関根町三丁目(1983年に関根町、荒牧町、川原町の各一部から成立)
  • 荒牧町
  • 荒牧町一丁目(2012年に荒牧町の一部から成立)
  • 荒牧町二丁目(2012年に荒牧町の一部から成立)
  • 荒牧町三丁目(2012年に荒牧町の一部から成立)
  • 荒牧町四丁目(1983年に関根町、荒牧町、川原町の各一部から成立)
  • 川原町
  • 川原町一丁目(2010年に川原町の一部から成立)
  • 川原町二丁目(2010年に川原町の一部から成立)
  • 南橘町(1962年に青柳町、日輪寺町、荒牧町の各一部から成立)
  • 上小出町一丁目(1982年に上小出町の一部から成立)
  • 上小出町二丁目(1982年に上小出町、下小出町の各一部から成立)
  • 上小出町三丁目(1982年に上小出町、下小出町の各一部から成立)
  • 下小出町一丁目(1982年に上小出町、下小出町、昭和町三丁目の各一部から成立)
  • 下小出町二丁目(1982年に上小出町、下小出町の各一部から成立)
  • 下小出町三丁目(1982年に上小出町、下小出町の各一部から成立)

永明地区 編集

  • 天川大島町− 自治会は天川大島町本町、天川大島町住宅
  • 天川大島町一丁目(1977年西片貝町、東片貝町、野中町と天川大島町の各一部から成立) − 天川大島原町
  • 天川大島町二丁目(1977年西片貝町、東片貝町、野中町と天川大島町の各一部から成立) − 天川大島原町
  • 天川大島町三丁目(1985年西片貝町、東片貝町、野中町、天川大島町の各一部から成立) − 天川大島原町
  • 上大島町
  • 女屋町
  • 上長磯町
  • 東上野町
  • 野中町
  • 下長磯町
  • 小島田町
  • 駒形町
  • 下大島町− 下大島町、下大島町西団地

城南地区 編集

荒砥地域

木瀬地域

大胡地区 編集

宮城地区 編集

粕川地区 編集

富士見地区 編集

廃止された旧町名一覧 編集

 
新旧区画の比較

桃井地区 編集

  • 神明町(桃井地区、現在の平和町一丁目、平和町二丁目、岩神町一丁目、大手町三丁目、千代田町一丁目、千代田町三丁目の各一部。1966年消滅)
  • 曲輪町(桃井地区、現在の大手町一丁目、大手町二丁目、本町一丁目、本町二丁目の各一部。1966年消滅)
  • 北曲輪町(桃井地区、現在の大手町二丁目、大手町三丁目、千代田町一丁目、本町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 柳町(桃井地区、現在の大手町三丁目の一部。1966年消滅)
  • 南曲輪町(桃井地区、現在の大手町一丁目、大手町二丁目、紅雲町一丁目、紅雲町二丁目、本町一丁目、表町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 石川町(桃井地区、現在の大手町一丁目、大手町二丁目、紅雲町一丁目、紅雲町二丁目、本町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 紅雲町(桃井地区、現在の表町一丁目、南町一丁目、南町三丁目、紅雲町一丁目、紅雲町二丁目の各一部。一部は1901年上川淵村から編入。1910年までは大字紅雲分。1967年消滅)

中川地区 編集

  • 大塚町(中川地区、現在の三河町一丁目、三河町二丁目の各一部。1966年消滅)
  • 中川町(中川地区、現在の三河町一丁目、文京町一丁目の各一部。1967年消滅)
  • 片貝町(中川地区、現在の本町三丁目の一部。1966年消滅)
  • 芳町(中川地区、現在の千代田町五丁目、三河町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 百軒町(中川地区、現在の朝日町一丁目、朝日町二丁目、朝日町三丁目の各一部。1966年消滅)
  • 新町(中川地区、現在の三河町二丁目、朝日町一丁目、朝日町二丁目の各一部。1966年消滅)

敷島地区 編集

  • 向町(敷島地区、現在の平和町一丁目、平和町二丁目、住吉町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 細ヶ沢町(敷島地区、現在の住吉町一丁目、住吉町二丁目の各一部。1966年消滅)
  • 小柳町(敷島地区、現在の住吉町二丁目の一部。1966年消滅)
  • 萩町(敷島地区、現在の昭和町一丁目、昭和町二丁目、昭和町三丁目、国領町一丁目、国領町二丁目の各一部。1910年までは大字萩。1966年消滅)
  • 琴平町(敷島地区、現在の住吉町の一部。1928年岩神町乙から改称。1966年消滅)
  • 岩神町東(敷島地区、現在の昭和町一丁目、昭和町二丁目、昭和町三丁目、平和町一丁目、平和町二丁目、住吉町二丁目の各一部。1942年岩神町甲の一部から成立。1966年消滅)
  • 岩神町(敷島地区、現在の岩神町二丁目、岩神町三丁目、岩神町四丁目の全域及び昭和町一丁目、昭和町二丁目、昭和町三丁目、平和町一丁目、平和町二丁目、岩神町一丁目、大手町三丁目住吉町二丁目の各一部。1910年までは大字岩神。1914年消滅)
  • 岩神町甲(敷島地区、現在の岩神町二丁目、岩神町三丁目、岩神町四丁目の全域及び昭和町一丁目、昭和町二丁目、昭和町三丁目、平和町一丁目、平和町二丁目、岩神町一丁目、大手町三丁目住吉町二丁目の各一部。1942年消滅。

城南地区 編集

  • 市之坪町(城南(現・南部)地区(旧桃井地区)、現在の南町四丁目の一部。(1901年上川淵村から編入。1951年までは大字市之坪。1967年消滅)
  • 前代田町(城南(現・南部)地区(旧桃井地区)、現在の紅雲町二丁目、表町一丁目、表町二丁目、南町三丁目の各一部。一部は1901年上川淵村から編入。1951年までは大字前代田。1967年消滅)
  • 宗甫分町(城南(現・南部)地区(旧桃井地区)、現在の南町一丁目、南町二丁目、南町三丁目、南町四丁目の各一部。一部は1901年上川淵村から編入。1951年までは大字宗甫分。1967年消滅)
  • 六供町(城南(現・南部)地区(旧桃井地区)、現在の六供町一丁目、六供町二丁目、六供町三丁目、六供町四丁目、六供町五丁目にあたる。1901年上川淵村から編入。1951年までは前橋市大字六供。)

城東地区 編集

  • 諏訪町(城東地区(旧・中川地区)、現在の城東町二丁目、三丁目の各一部。1966年消滅)
  • 清王寺町(城東地区(旧・敷島地区)、現在の若宮町一丁目、若宮町二丁目、日吉町一丁目、日吉町二丁目、日吉町三丁目、日吉町四丁目、城東町一丁目の各一部。1910年までは大字清王寺。1966年消滅)
  • 一毛町(城東地区(旧・中川地区)、現在の城東町三丁目、城東町四丁目、西片貝町五丁目の各一部。1910年までは大字一毛。1966年消滅)
  • 栄町(城東地区、現在の城東町一丁目、城東町二丁目、城東町五丁目、千代田町三丁目、住吉町二丁目の各一部。1928年一毛町から分離。1966年消滅)
  • 東町(城東地区、現在の日吉町一丁目、日吉町二丁目、日吉町三丁目、日吉町四丁目の各一部。1951年桂萱村大字三俣の一部から成立。1966年消滅)

若宮地区 編集

  • 才川町(若宮地区(旧・敷島地区)、現在の若宮町一丁目、若宮町二丁目、若宮町三丁目、若宮町四丁目、日吉町四丁目の各一部。1910年までは大字才川。1966年消滅)
  • 国領町(若宮地区(旧・敷島地区)、現在の若宮町二丁目、若宮町三丁目、国領町一丁目、国領町二丁目の各一部。1910年までは大字国領。1966年消滅)

天川地区 編集

  • 高田町(1934年(天川地区(旧・城南(現・南部)地区)、現在の朝日町二丁目、朝日町三丁目、文京町一丁目、文京町二丁目、文京町三丁目、文京町四丁目の各一部。1934年、天川町字高台、同町字矢田町から分離。1967年消滅)
  • 天川原町

岩神地区 編集

  • 岩神町西(岩神地区(旧・敷島地区)、現在の岩神町二丁目、岩神町三丁目、岩神町四丁目の全域及び岩神町一丁目、大手町三丁目の各一部。1942年岩神町甲の一部から成立。1966年消滅)

中央地区 編集

  • 桑町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の千代田町二丁目、千代田町四丁目の各一部。1966年消滅)
  • 竪町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の千代田町二丁目、千代田町三丁目の各一部。1966年消滅)
  • 連雀町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の本町二丁目の一部。1966年消滅)
  • 紺屋町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の千代田町四丁目、千代田町五丁目の各一部。1966年消滅)
  • 榎町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の千代田町四丁目、千代田町五丁目、三河町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 本町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の本町一丁目、本町二丁目の各一部。1966年消滅)
  • 横山町(中央地区(旧・桃井地区→中央地区)、現在の千代田町二丁目、千代田町四丁目の各一部。1966年消滅)
  • 萱町(中央地区(旧・中川地区→城東地区)、現在の千代田町四丁目、千代田町五丁目、三河町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 立川町(中央地区(旧・中川地区→城東地区)、現在の千代田町二丁目、千代田町三丁目、千代田町四丁目の各一部。1966年消滅)
  • 田町(中央地区(旧・桃井→城南(現・南部地区)地区、現在の本町一丁目、本町二丁目、表町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 相生町(中央地区(旧・桃井地区)、現在の本町二丁目、表町二丁目の各一部。1966年消滅)
  • 堀川町(中央地区(旧・桃井→城南(現・南部)地区、現在の本町一丁目、表町一丁目の各一部。1966年消滅)
  • 田中町(中央地区(旧・桃井→城南(現・南部)地区、現在の表町二丁目の一部。1966年消滅)

桂萱地区 編集

  • 三俣町(桂萱地区、現在の三俣町一丁目、三俣町二丁目、三俣町三丁目、西片貝町一丁目の各一部。1977年消滅)
  • 西片貝町(桂萱地区、現在の西片貝町一丁目、西片貝町二丁目、西片貝町三丁目、西片貝町四丁目、西片貝町五丁目の各一部。1977年消滅)

南橘地区 編集

  • 上小出町(南橘地区、現在の下小出町一丁目、上小出町一丁目、上小出町二丁目、上小出町三丁目の各一部。1982年消滅)
  • 下小出町(南橘地区、現在の下小出町一丁目、下小出町二丁目、下小出町三丁目、昭和町三丁目の各一部。1982年消滅)

教育 編集

大学・短期大学・高等専門学校 編集

国公立
私立

高等学校 編集

群馬県立
前橋市立
私立

中学校 編集

廃校 編集

  • 前橋市立総社中学校 (1961年清里中と統合し第六中へ)
  • 前橋市立清里中学校 (1961年総社中と統合し第六中へ)
  • 前橋市立上川淵中学校 (1962年下川淵中と統合し第七中へ)
  • 前橋市立下川淵中学校 (1962年上川淵中と統合し第七中へ)
  • 前橋市立第二中学校 (2011年第四中と統合しみずき中へ)[29]
  • 前橋市立第四中学校 (2011年第二中と統合しみずき中へ、敷地は前橋市立第四中学校跡地を継承)[29]
  • 創世中等教育学校 (私立、2011年3月休校)[30]
  • 前橋市立富士見中学校赤城山分校 (1998年休校・2017年廃校)[31]

小学校 編集

廃校 編集

特別支援学校 編集

専修学校 編集

各種学校 編集

学校教育以外の施設 編集

ナンバープレート 編集

前橋市と北群馬郡吉岡町は、ご当地ナンバーである前橋ナンバー(群馬運輸支局)が交付される。

人口 編集

  • 人口:335,055人
    • 男性:164,072人
    • 女性:170,983人
  • 世帯数:151,431世帯
  • 人口密度:1,075.27人/km2

(2020年(令和2年)12月31日時点)

 
前橋市と全国の年齢別人口分布(2005年) 前橋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 前橋市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

前橋市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政 編集

前橋市の歴代市長
氏名 在職期間
初代 下村善太郎 1892年(明治25年)5月19日 - 1893年(明治26年)6月2日
2 弥城友次郎 1893年(明治26年)7月23日 - 1898年(明治31年)9月22日
3 笹治元 1898年(明治31年)11月11日 - 1902年(明治35年)5月9日
4 稲葉秀作 1902年(明治35年)6月13日 - 1910年(明治43年)1月14日
5 江原桂三郎 (初代) 1910年(明治43年)2月28日 - 1911年(明治44年)9月20日
6 今鉄平 1911年(明治44年)10月23日 - 1913年(大正2年)6月14日
7 木村二郎 1913年(大正2年)8月30日 - 1925年(大正14年)8月30日
8 竹内勝蔵 1925年(大正14年)9月16日 - 1931年(昭和6年)10月6日
9 田中稲一 1931年(昭和6年)11月7日 - 1933年(昭和8年)12月9日
10 江原桂三郎 (2代) 1933年(昭和8年)12月24日 - 1941年(昭和16年)12月23日
11 堀康雄 1942年(昭和17年)2月23日 - 1946年(昭和21年)11月13日
12 関口志行 1947年(昭和22年)4月5日 - 1958年(昭和33年)5月31日
13 石井繁丸 1958年(昭和33年)7月12日 - 1978年(昭和53年)7月11日
14 藤井精一 1978年(昭和53年)7月12日 - 1988年(昭和63年)1月11日
15 藤嶋清多 1988年(昭和63年)2月28日 - 1996年(平成8年)2月27日
16 萩原弥惣治 1996年(平成8年)2月28日 - 2004年(平成16年)2月27日
17 高木政夫 2004年(平成16年)2月28日 - 2012年(平成24年)2月27日
18 山本龍 2012年(平成24年)2月28日 - 2024年(令和6年)2月27日
19 小川晶 2024年(令和6年)2月28日就任

市長 編集

現市長は小川晶(おがわ あきら)。前群馬県議会議員で、2024年(令和6年)2月4日に行われた市長選挙により選出され、2024年(令和6年)2月28日就任。前任は、山本龍(やまもと りゅう)で、3期・12年間、前橋市長を務めた。4期目を目指し2024年の市長選挙に出馬したが、小川晶に敗れた。

2004年(平成16年)2月15日の市長選挙(有権者数225,986人、投票率48.83%)の結果は次の通りである。

  1. 高木政夫 - 56,232票
  2. 萩原弥惣治 - 44,406票
  3. 生方秀男 - 8,334票

2008年(平成20年)2月17日の市長選挙(投票率52.40%)の結果は次の通りである。

  1. 高木政夫 - 66,006票
  2. 金子泰造 - 60,102票
  3. 生方秀男 - 7,678票

2012年(平成24年)2月19日の市長選挙(投票率49.06%)の結果は次の通りである。

  1. 山本龍 - 65,173票
  2. 高木政夫 - 51,552票
  3. 亀田好子 - 9,650票
  4. 樋口和彦 - 7,037票

2016年 (平成28年) 2月14日の市長選挙 (投票率30.97%) の結果は次の通りである。

  1. 山本龍 - 61,903票
  2. 樋口和彦 - 21,084票

2020年 (令和2年) 2月9日の市長選挙 (投票率43.16%) の結果は次の通りである。

  1. 山本龍 - 49,565票
  2. 岩上憲司 - 39,439票
  3. 中島資浩 - 12,564票
  4. 店橋世津子 - 9,428票
  5. 佐田玄一郎 - 7,597票
  6. 海老根篤 - 277票

2024年 (令和6年) 2月4日の市長選挙 (投票率39.39%) の結果は次の通りである。

  1. 小川晶 - 60,486票
  2. 山本龍 - 46,387票

市役所及びその関連施設一覧 編集

  • 市役所本庁(前橋市大手町二丁目12番1号)
    • 市民サービスセンター上川淵(前橋市後閑町35番地)※上川淵公民館併設
    • 市民サービスセンター下川淵(前橋市鶴光路町701)※下川淵公民館併設
    • 市民サービスセンター桂萱(前橋市上泉町141番地3)※桂萱公民館併設
    • 市民サービスセンター芳賀(前橋市鳥取町817番地)※芳賀公民館併設
    • 市民サービスセンター元総社(前橋市元総社町三丁目1番地1)※元総社公民館併設
    • 市民サービスセンター東(前橋市箱田町543番地1)※東公民館併設
    • 市民サービスセンター総社(前橋市総社町総社1538番地2)※総社公民館併設
    • 市民サービスセンター南橘(前橋市日輪寺町158番地)※南橘公民館併設
    • 市民サービスセンター清里(前橋市青梨子町339番地)※清里公民館併設
    • 市民サービスセンター永明(前橋市小屋原町1758番地3)※永明公民館併設
  • 城南支所(前橋市二之宮町1320番地)※城南公民館併設
  • 大胡支所(旧大胡町役場)(前橋市堀越町1115番地(旧・勢多郡大胡町大字堀越1115番地))
  • 宮城支所(旧宮城村役場)(前橋市鼻毛石町1426番地3(旧・勢多郡宮城村大字鼻毛石1426番地3))
  • 粕川支所(旧粕川村役場)(前橋市粕川町西田面216番地1(旧・勢多郡粕川村大字西田面216番地1))
  • 富士見支所(旧富士見村役場)(前橋市富士見町田島240番地(旧・勢多郡富士見村大字田島240番地))
  • 水道局(前橋市岩神町三丁目13番15号)

前橋広域圏における「平成の大合併」の経緯 編集

この地域の合併協議は最終的な決着まで紆余曲折があった。

政府の合併推進施策を受け、以前から結びつきの強かった前橋広域圏(前橋市・大胡町宮城村粕川村富士見村)の首長は、2001年(平成13年)夏に新潟県を視察中、同県弥彦村で会合(いわゆる「弥彦会談」)を行った。この席で、「合併特例法期限内に熟度の高まった所から順次合併」という方針が決められ、関係市町村は合併検討に動き出した。

弥彦会談では、実質的には4町村が「前橋市に編入」で大筋合意となっていた。しかし、富士見村と粕川村は諸事情により、議会から待ったがかかる形となり、2002年(平成14年)に任意合併協議会が開催された時、参加したのは前橋市・大胡町・宮城村であった。4か月後、議会の了承を取り付けた粕川村も任意合併協に加わる。

富士見村は当時の関口村長が自立を表明。しかし市から移住してきた新しい住民などは反発し村長はリコールで失職する。リコールによって「前橋市との合併」という意思が示されたものの、その後就任した星野村長は当初「中立」というスタンスをとった。そして住民投票を行ったところ結果は合併賛成が63%となり、前橋市との1市1村で法定合併協議会を設置する。

この間にも、前橋・大胡・宮城・粕川の合併協議会は順調に進み、2003年(平成15年)秋に合併調印。そして2004年(平成16年)12月5日に合併。前橋・富士見の合併協議も2004年(平成16年)夏に「2005年(平成17年)5月1日合併」で一度は決着し、調印となった。

しかし、その後富士見村議会が合併に反対。2度出された合併議案を共に否決し、星野村長は「自立」表明することになる。合併協議会は解散、合併調印も取り消された。

前橋広域圏は、合併に伴って富士見村1村のみが孤立して残存し、自動的に広域圏行政が消滅することとなった。富士見村は消防など一部行政を前橋市へ事務委託しなくてはならず、合併解消に際しては県の仲裁で何とかこれを取りつけた。

調印を反故にされた形の前橋市側は実質的な報復措置として、富士見村民の前橋市営斎場利用料や市立工科大学入学料をはじめとする優遇措置を廃止、前橋市に通勤・通学する村民以外の市立図書館の利用を禁止した。 これにより、村民は以前よりも不便を強いられることになった。また、広域中学総体や市大会での参加が黙殺され、たとえ優勝などの好成績を得ても表彰されない、という差別があった。さらに、市側は村民が市立前橋高校への入試が不利になる圧力や風潮が見られた。

このような過度に圧力をかけた理由は、2004年の合併における市側の利益や財産が、予想より少なかったという、焦りがみられたためでもある。時間がたつにつれ富士見村の村内社会の分裂が進み、合併を強制的に受け入れざるを得ない一般村民が増えた。

結果、2007年(平成19年)の富士見村長選では合併推進派が村長に当選。さらに村議会議員選でも、合併推進派の勢力が拡大した事に伴い、2008年(平成20年)1月15日に3度目の正直となる合併協議会が設置され、2009年(平成21年)5月5日に富士見村は前橋市に合併された。

住所表記 編集

  • 前橋地域は変更なし。
  • 大胡地区(旧 勢多郡大胡町)と宮城地区(旧 勢多郡宮城村)は大字名の後に町が付く。
    • 勢多郡大胡町大字茂木→前橋市茂木町
    • 勢多郡宮城村大字柏倉→前橋市柏倉町
      旧大胡町の金丸は前橋市の金丸町と名称が重複してしまうため、「東金丸町」となった。
  • 粕川地域(旧・勢多郡粕川村)と富士見地域(旧・勢多郡富士見村)は旧村名に町を付け、その後に大字名が付く。
    • 勢多郡粕川村大字女渕→前橋市粕川町女渕
    • 勢多郡富士見村大字田島→前橋市富士見町田島

土木事業 編集

議会 編集

市議会 編集

県議会 編集

  • 選挙区:前橋市選挙区
  • 定数:8人
  • 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日[32]
  • 投票日:2023年4月9日
  • 当日有権者数:273,168人
  • 投票率:37.36%
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数 議会所属会派
小川晶 40 無所属 14,691票 リベラル群馬
水野俊雄 51 公明党 13,761票 公明党
宮崎岳志 53 日本維新の会 12,159票 群馬維新の会
狩野浩志 62 自由民主党 11,672票 自由民主党
本郷高明 51 立憲民主党 10,279票 リベラル群馬
鈴木数成 53 自由民主党 8,643票 自由民主党
安孫子哲 51 自由民主党 8,549票 自由民主党
酒井宏明 57 日本共産党 8,049票 日本共産党
太古前考俊 45 自由民主党 7,250票 ―――
松島友紀 48 無所属 5,339票 ―――

衆議院 編集

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
中曽根康隆 39 自由民主党 110,244票
宮崎岳志 51 日本維新の会 42,529票
斎藤敦子 53 無所属 24,072票
店橋世津子 60 日本共産党 18,917票

司法 編集

 
前橋地方裁判所

裁判所 編集

姉妹都市・提携都市 編集

日本国外の3都市、日本国内の1都市と交流関係を結んでいる。前橋市ではいずれも「友好都市」名義である[33]

日本国内 編集

萩出身の初代群馬県令楫取素彦の縁による[34]。前橋市は県庁設置などによって楫取の功績を多としており[34][35]前橋公園(建碑当初は高浜公園)に功徳碑が立てられている[34]

日本国外 編集

固有名詞の表記は前橋市のウェブサイトに従った。

オルビエートと前橋の間には民間団体の交流があったが[36]、1994年(平成6年)より広がりを見せ[36]、両市長の相互訪問を経て[36]、民間主体の交流を支援する「友好都市」としての提携に至った[36]。オルビエート市には「スローシティ(チッタスロー)協会」の本部が置かれていることから、前橋市がスローシティ運動に関心を寄せ、2017年(平成29年)には前橋市の赤城地域(芳賀大胡宮城粕川富士見地区の一部[38])がスローシティ協会に加入している[39][40]
1993年(平成5年)、前橋市の大工棟梁田子和則が、アラバマ州知事、バーミングハム市長、アラバマ日米協会会長の依頼を受けて、植物園 (Birmingham Botanical Gardens (United States)日本庭園茶室を建設したのが契機[36]。以後、民間交流が盛んとなる[36]。1997年(平成9年)にはアラバマ日米協会から田子に「サムエル・ウルマン賞」が贈られた[36]。この縁でサムエル・ウルマン記念館と前橋文学館の交流も開始[36]。ウルマンの『青春の詩』にちなみ前橋市には「前橋青春の会」が設立され、市民の寄付金により「青春の詩碑」が建設された[36]
大胡町で育った伊藤幸男(全米州教育庁長官連合協議会)がメナーシャで日本語教育に携わっていたことが契機となり[42][43]、1998年(平成10年)度から大胡小学校がメナーシャ市立グロビス小学校と交流を開始[36]。その後、滝窪小学校と同市ジェファーソン小学校との交流も始まり[36]、両市の中学生の相互訪問も行われるようになった[36]。2002年(平成14年)に大胡町とメナーシャ市が姉妹都市提携[36]。2004年(平成16年)、大胡町は前橋市と合併するが、前橋市は大胡町の姉妹都市提携を継承、2005年(平成17年)にあらためて友好都市協定書を取り交わした[36]

経済 編集

産業 編集

  • 前橋商工会議所
  • 前橋商工会議所青年部・緑水会
年間商品販売額(万円)
(2004年(平成16年)度商業統計調査、いずれも調査当時の市部、%は県内に占める割合)
年間商品販売額(万円、2004年(平成16年))
204,945,840 (群馬県全体の33.9%を占め、県内第1位)
売場面積(m2、2004年(平成16年))
424,789(群馬県全体の15.4%を占め、県内第1位)
製造品出荷額(百万円、2004年(平成16年))
653,635(群馬県全体の8.6%、太田市のほぼ2分の1であり、大泉町に次いで県内第3位)

関東・甲信越エリアを統括する団体・企業 編集

工業 編集

市内各所に合計十七ヶ所の工業団地を造成している(カッコ内は主な進出企業)。

この他、粕川町中之沢に近自然工法を取り入れたサンデンの赤城事業所(サンデンフォレスト)、元総社町に理研鍛造、岩神町に富士機械がある。市内を代表する大工場として、JR前橋駅南東にダイハツ車体本社・工場があったが、2004年(平成16年)11月をもって大分県中津市に移転した(現在のダイハツ九州)。「サッポロ一番」のサンヨー食品は前橋で創業し、現在は朝倉町に本社工場を構える。登記上の本社は東京都港区に置かれている。

2012年(平成24年)12月時点で分譲を行っている工業団地は以下の通り(市工業課)。

  • 五代南部工業団地(敷地北端に上武道路開通)

農業 編集

前橋市の2007年(平成19年)農業産出額は310億円で、市町村別で全国16位、群馬県内の農業産出額に占める割合も13.8%に達する。ちなみに「平成の大合併」前の2003年(平成15年)農業産出額でも県内一位で、168億6千万円であった。

特徴的なのは、畜産業の産出額210億円(全国6位)、乳用牛の産出額55億円(全国17位)、豚の産出額69億円(全国9位)と畜産関連の生産額が突出していることであり(いずれも農林水産省平成19年農業産出額データより)、これは前橋の農業産出額を全国トップレベルに押し上げている要因でもある。いずれの数値も群馬県内全体の産出額の20%前後のシェアを占めている。近年では「TONTONのまちまえばし」として、官民挙げてPR活動を行っている。

畜産以外でも大正時代から市内の耕地整理を進めており、1980年代までに市内の大部分で耕地整理が行われ、整然と区画された耕地が郊外に広がっている。

金融 編集

 
群馬銀行本店
 
東和銀行本店

この他に足利銀行大光銀行栃木銀行などの地方銀行第二地方銀行が支店を置いている。

証券 編集

このほかにみずほ証券が前橋プラネットブースを、大和証券グループ本社が前橋営業所を開設している。

商業 編集

中心市街地は商業の衰退が著しく、再活性化が目下の最重要課題とされている。反面商業施設は、後述の要因により市街地外周や郊外に多く立地している。

以前の前橋では、千代田町2丁目-5丁目に位置する中心商店街が商業の中心であった。1990年代ごろになると、前橋駅前に出店したイトーヨーカドーサティなどの大型店舗や、郊外の駐車場完備・ロードサイド展開の専門店などに利用客が流れるようになった。加えてライフスタイルの変化や自動車保有率全国1位という車社会、市の中心駅である前橋駅と離れた商店街の立地、駐車場の不足、市内中心部の人口減少などの要因のほか、旧日本銀行前橋支店跡地の八番街開発の停滞や商店の後継問題なども絡んで商店街の衰退が進み、全国有数の「シャッター商店街」としてマスコミに取り上げられることも多くなった。1972年(昭和47年)に6万人近くあった平日の商店街歩行者通行量は、1992年(平成4年)には4万人弱、2004年(平成16年)には1万人程度となった[45]。2020年(令和2年)は8千人程度であり1972年のおよそ1/7にまで激減している。

2000年代以降も中心商店街の外周や郊外にはショッピングセンターが相次いで出店した。2007年(平成19年)3月には前橋駅南東の文京町に大型ショッピングモール「けやきウォーク前橋」が、2009年(平成21年)4月には小屋原町駒形バイパス沿いに「ガーデン前橋」がオープンした。また中心商店街から東に2.5kmの上泉町にはスーパーマーケットベイシアが大型店(前橋モール店)を出店したほか、地場スーパーのフレッセイは、駒形町と若宮町、荒牧町に中規模のショッピングセンターのほか、中心街の前橋プラザ元気21内に、前橋プラザ店をオープンさせている。2020年(令和2年)11月には公田町の前橋長瀞線沿いに「ツルヤ前橋南店」がオープンした。

商店街の最盛期には以下に代表される大型店舗があったが、スズラン以外全て中心商店街から移転および撤退した[注 4]

  • 長崎屋(1964年(昭和39年)開店、1985年(昭和60年)閉店。前橋東宝の場所に進出)
  • 丸井(1968年(昭和43年)開店、1986年(昭和61年)閉店。丸井跡地は、現在スズラン前橋店新館)
  • 前三百貨店(1964年(昭和39年)開店、1985年(昭和60年)閉店。※三越提携)
  • ニチイ(1972年(昭和47年)開店、1993年(平成5年)閉店)
  • LIVIN(1975年(昭和50年)に西友として開店。後に前橋西武 → LIVIN、2004年(平成16年)閉店。※西友母体)
  • LIVIN別館のWALK(1987年(昭和62年)開店、2006年(平成18年)閉店)

ニチイは千代田町の店舗を一旦閉店させた後、中心商店街から1.2km北に位置する国領町のグンゼ工場跡地にサティ前橋サティ)として移転オープンさせた。また、ダイエーも六供町と国領町のシルクプラザ内に2店舗あったが、ダイエーは完全撤退した(※ダイエーの撤退は、イトーヨーカドーやサティとの競合やダイエー自体の業績悪化によるものである[要出典])。

2006年(平成18年)1月29日にLIVIN別館で単体として残っていたWALKが閉店したことにより、WALKの中にあったテアトル前橋西友も閉店。後にユナイテッド・シネマが開業するまで前橋市から映画館も全て無くなった。その後テアトル前橋西友跡は、前橋芸術週間という団体の運営により2009年(平成21年)12月4日に名画座「シネマまえばし」(現・前橋シネマハウス)として再オープンしている。

けやきウォークや郊外のショッピングセンターの相次ぐ開業に加えてGMS業態自体の不振により、イトーヨーカドー前橋店は2010年(平成22年)8月16日[46] に、前橋サティは同年10月17日[46] に閉店した。その後イトーヨーカドー前橋店はエキータ前橋として、前橋サティは前橋リリカとして再オープンした。

最近まで、イオングループ北関東自動車道前橋南IC南側の農地に超大型ショッピングセンターを建設する計画があった。この土地はかつてカルフールが出店を計画していた場所であり、それよりも広い敷地(約25ha)で、全国最大規模のショッピングセンターとなる予定だった。しかし、関係各署との調整難航や大型店の郊外出店を規制する「まちづくり三法」改正で出店が難しくなったために出店を断念した。

前橋市および地元まちづくり対策協議会は、上記イオン進出予定地含む周辺地域の開発事業「前橋南部拠点地区開発」の主たる事業者をベイシアに決定。ベイシアやカインズホームを核店舗とする、同社最大になる敷地面積23haの「パワーモール前橋みなみ」が2010年(平成22年)12月に第1期オープンした。

家電量販店最大手にまで成長したヤマダ電機は前橋で創業、日吉町に本社を構えていたが2008年(平成20年)7月1日をもって本社を高崎駅前に移転した。会社の急拡大に伴い横浜市みなとみらい地区に本社機能の一部を移し大型店鋪を併設する計画だったが、周辺道路の渋滞を懸念した横浜市側が土地の譲渡売却を断念。その後、JR高崎駅東口へ新本社を移転新築した。

 
ベイシアビジネスセンター

一方で、ベイシアは前橋に本部を移転した。前橋南ICに近い亀里町に、ベイシア本体とセーブオンベイシア電器などグループ企業十社の本社が、創業地の伊勢崎から2006年(平成18年)1月に移転し、業務を開始している。近年ではさらに前橋南IC付近の開発が進み、先述の「パワーモール前橋みなみ」に北関東初進出となるコストコがオープンした。なお、コストコ隣接地にIKEAが土地を取得しており、2024年(令和6年)1月18日にIKEA前橋がオープンした[47][48]。また前橋南IC北西の公田町に、ツルヤ前橋南ショッピングパークが2020年(令和2年)11月にオープンした。同年12月にはエキータ前橋が改装し、アクエル前橋としてオープンした。

文化 編集

文化施設 編集

 
ぐんまアリーナ

スポーツチーム 編集

宗教 編集

神社 編集

仏教寺院 編集

キリスト教教会 編集

交通 編集

前述の通り、市の商業施設の郊外移転や自動車保有率全国1位という車社会から、公共交通機関の利用者は減少傾向にある。特にバスにおいては1990年代より不採算路線の相次ぐ廃止や上毛電鉄路線バス事業撤退、自治体による欠損補助を受けて運行を維持する路線の拡大など深刻な状況下にある[49]

鉄道 編集

 
前橋駅南口
東日本旅客鉄道(JR東日本)
上越線吾妻線
両毛線上野東京ライン  湘南新宿ライン[注 5]

※ かつては前橋大島駅付近に東前橋駅が、下増田町に下増田駅が設置されていたが、1968年(昭和43年)の両毛線全線電化に際して休止(実質廃止)、1987年(昭和62年)に正式廃止されている。

上毛電気鉄道
上毛線

バス 編集

利用者が多い前橋駅と県庁前の区間においては、6社がダイヤを調整して、2022年度から等間隔運行される[50]

高速バス 編集

道路 編集

 
県道17号のケヤキ並木(前橋駅前)

高速道路 編集

  • E17 関越自動車道:11 前橋IC(高崎市中尾町と前橋市鳥羽町に跨っている)
  • E50 北関東自動車道:1 前橋南IC(鶴光路町、新堀町、下阿内町)、2 駒形IC(駒形町、小屋原町)
  • 以上の他、E17 関越自動車道 7 高崎IC(高崎市京目町)は昭和大橋を介して前橋市公田町に至近、11-1 駒寄スマートIC北群馬郡吉岡町)は前橋市池端町に隣接。

国道 編集

  • 国道17号
  • 国道50号
    • 今井町交差点以東の前橋笠懸道路が2007年(平成19年)に都市計画決定された。
  • 国道353号
    • 赤城山南麓の概ね標高300 m - 500 m辺りを東西に通過している。
  • 国道291号(始点が本町(国道17号・国道50号交点)で、前橋市内は田口町の田口町南交差点までは国道17号との重複区間)

県道(主要地方道) 編集

主な市道 編集

  • 国体道路 (利根川東岸の道路。沿線にグリーンドーム前橋敷島公園県総合スポーツセンター)
  • 東部環状線
    • 通称「東部バイパス」。全線片側2車線。県道2号(天川大島町交差点)、国道50号、県道3号、県道4号と国道17号(群大病院東交差点)を連絡する。
  • 西部環状線
    • 国道17号線(元総社町南交差点)と県道12号を連絡する。さらに南部大橋線を介して県道11号、県道2号(天川大島町交差点)を連絡する。
  • 江田天川大島線
    • 西部環状線の南側で江田町・天川大島町間を連絡する片側二車線の環状線。県道11号との重複部、朝倉町内の一部区間が開通。

道の駅 編集

ヘリコプター 編集

メディア 編集

観光 編集

観光地・植物園 編集

名所・旧跡 編集

 
群馬県庁舎
 
水道資料館

編集

スポーツイベント 編集

名物・特産物 編集

出身著名人 編集

政治家 編集

官僚 編集

実業家 編集

文化人 編集

メディア人 編集

スポーツ選手 編集

芸能 編集

その他 編集

ゆかりのある人物 編集

大名 編集

前橋を舞台とした作品 編集

その他 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『前橋市史 第六巻』は大永7年とし、黒田基樹「戦国期上野長野氏の動向」『日本史攷究』35号、荒川善夫他編『中世下野の権力と社会』は大永4年とする。
  2. ^ 「厩橋」を「うまやはし」と読む史料は確認されていない。
  3. ^ 気象台、測候所、気象観測所、特別地域気象観測所のこと。アメダス(地域気象観測所)は含まれない。
  4. ^ また食品スーパーとしては、ヤナイストアーが2011年7月28日[要出典]をもって事業停止している。
  5. ^ 上野東京ライン・湘南新宿ラインは前橋駅までの運転

出典 編集

  1. ^ 井上裕之「日本地名と「地元放送局アクセント」〜積年の課題に解を求めて〜」『放送研究と調査』2016年11月号、NHK放送文化研究所、2016年11月1日、2017年4月27日閲覧 
  2. ^ a b 市政概要 令和2年度版” (PDF). 前橋市議会事務局 (2020年9月2日). 2021年6月30日閲覧。
  3. ^ a b c d 前橋市史編さん委員会 1973, pp. 6–15.
  4. ^ 野本 2020, p. 8.
  5. ^ 野本 2020, pp. 13–14.
  6. ^ 野本 2020, p. 11.
  7. ^ 野本 2020, pp. 11–12.
  8. ^ 野本 2020, p. 26.
  9. ^ 野本 2020, p. 25.
  10. ^ a b 前橋市の位置・地勢”. 前橋市 (2021年5月11日). 2023年12月10日閲覧。
  11. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
  12. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
  13. ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, pp. 90–91.
  14. ^ 富士見村誌編纂委員会 1979, p. 648.
  15. ^ 宮城村誌編集委員会 1973, p. 285.
  16. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 130.
  17. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 144.
  18. ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, p. 108.
  19. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 534‐568.
  20. ^ 前橋市教育委員会文化財保護課『解明! 古代群馬の中心 上野国府跡』(PDF)前橋市、2016年https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/94/kokuhu.pdf 
  21. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 736.
  22. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 851.
  23. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 966.
  24. ^ 前橋市史編さん委員会 1971, p. 938.
  25. ^ 前橋市史編さん委員 1973, p. 215.
  26. ^ 前橋市史編さん委員会 1978, p. 1058.
  27. ^ 前橋市史編さん委員会 1984, p. 1204.
  28. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、126頁。ISBN 9784816922749 
  29. ^ a b 前橋市立みずき中学校”. 前橋市. 2023年12月10日閲覧。
  30. ^ 事業報告書 平成23年度” (PDF). 学校法人平方学園. 2023年12月10日閲覧。
  31. ^ 前橋市公共施設白書(改訂版)” (PDF). 前橋市. p. 160 (2018年3月). 2023年12月10日閲覧。
  32. ^ 議員の紹介 勤続年数・年齢順 - 群馬県議会(令和5年4月30日現在)”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2023年4月30日閲覧。
  33. ^ 前橋市の姉妹都市や友好都市について知りたいのですが。”. 前橋市 (2019年2月1日). 2023年12月10日閲覧。
  34. ^ a b c d 萩市(山口県)”. 前橋市 (2019年2月1日). 2023年12月10日閲覧。
  35. ^ a b ふるさと萩のすがた”. 萩市. 2023年12月10日閲覧。 各年度の刊行物に記載
  36. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 姉妹(友好)提携情報 - 群馬県”. 自治体国際化協会. 2023年12月10日閲覧。
  37. ^ オルビエート市”. 前橋市 (2019年2月1日). 2023年12月10日閲覧。
  38. ^ 前橋・赤城スローシティについて”. 前橋市. 2020年7月1日閲覧。
  39. ^ 前橋でゆったりライフ実現を 「チッタスロー協会」加入 国内2例目、赤城地域の自然生かす」『産経新聞』、2017年6月24日。2017年10月19日閲覧。
  40. ^ 前橋市、スローシティーに認定」『日本経済新聞』、2017年6月24日。2017年10月19日閲覧。
  41. ^ バーミングハム市”. 前橋市 (2019年10月16日). 2023年12月10日閲覧。
  42. ^ a b メナーシャ市”. 前橋市 (2019年2月1日). 2023年12月10日閲覧。
  43. ^ 一本の電話から始まった交流のお手伝い」『国際文化フォーラム通信』第63巻、財団法人国際文化フォーラム、2004年7月、2-4頁、2023年12月10日閲覧 
  44. ^ 岡田「TPO INTERVIEW さすてなぶる No.135 株式会社昭和食品」『あしぎん経済月報』、あしぎん総合研究所、2022年6月、2-7頁。 
  45. ^ みんな「まち」へ行こう」(pdf)『広報まえばし』第1,305号、前橋市役所、2005年12月1日、3頁、2023年12月10日閲覧 
  46. ^ a b 2010年 重大ニュース(5)前橋の大型2店撤退 郊外型出店で打撃」『上毛新聞』、2010年12月18日。2015年9月1日閲覧。オリジナルの2015年10月17日時点におけるアーカイブ。
  47. ^ 「本当にイケアは来るのか」10年間看板ぽつんと…「待ちに待った」IKEA前橋オープン(全2ページ)”. 読売新聞オンライン. 読売新聞東京本社 (2024年1月19日). 2024年1月19日閲覧。
  48. ^ 小泉浩一「お待たせ イケア前橋」『上毛新聞』上毛新聞社、2024年1月19日、1面。
  49. ^ 前橋市全市域デマンド化研究会 (2013年3月). “前橋市全市域デマンド化研究会中間報告” (PDF). 前橋市. 2023年12月10日閲覧。
  50. ^ 本町ラインの等間隔運行について(バス事業者6社の共同経営)”. 前橋市交通政策課. 2021年10月10日閲覧。
  51. ^ NHKアナウンス室 下境秀幸
  52. ^ 前橋の観光大使に円楽さんら 30年前に「墓」取得、死んだら住民票移す」『高崎前橋経済新聞』(みんなの経済新聞)、2016年3月25日。2016年12月13日閲覧。
  53. ^ 「まえばし観光大使」の委嘱について』(PDF)(プレスリリース)前橋市、2016年3月24日http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/450/465/006/p016252_d/fil/20160324_1.pdf2016年12月13日閲覧 
  54. ^ 旧前工岩神校舎が、いよいよ取り壊しになります”. 群馬県立前橋工業高等学校. 2016年2月25日閲覧。[リンク切れ]
  55. ^ 神海英雄『SOUL CATCHER(S)』 5巻、集英社、2014年6月9日。ISBN 978-4-08-880073-8 
  56. ^ 神海英雄『SOUL CATCHER(S)』 9巻、集英社、2015年10月8日。ISBN 978-4-08-880529-0 
  57. ^ 映画「そして父になる」、ロケ地「前橋」出身の助監督が撮影秘話」『前橋高崎経済新聞』。2016年2月27日閲覧。
  58. ^ 吉本興業まち映画「耳かきランデブー」プレミアム上映会!”. ま き ば プロジェクト. まきばPROJECT (2017年7月6日). 2018年10月10日閲覧。
  59. ^ 「生きる道は、ひとつじゃない」前橋から生まれた“人を救える”映画『青の帰り道』【地方上映特別編♯3(終)群馬】ファン手作りのロケ地マップ公開!”. シネフィル. 2021年5月14日閲覧。

参考文献 編集

  • 野本文幸『前橋歴史断簡―知られざる13の謎に挑む―』上毛新聞デジタルビジネス局出版部、2020年。ISBN 978-4-86352-274-9 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 第一巻、前橋市、1971年。全国書誌番号:73017373 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 第二巻、前橋市、1973年。全国書誌番号:73017374 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 第三巻、前橋市、1975年。全国書誌番号:73017375 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 第四巻、前橋市、1978年。全国書誌番号:79014004 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 第五巻、前橋市、1984年。全国書誌番号:84034179 
  • 大胡町誌編纂委員会 編『大胡町誌』大胡町役場、1976年。全国書誌番号:73015053 
  • 富士見村誌編纂委員会 編『富士見村誌』 続編、富士見村役場、1979年。 
  • 宮城村誌編集委員会 編『宮城村誌』宮城村役場、1973年。全国書誌番号:73007137 

関連項目 編集

外部リンク 編集