江馬 時政(えま ときまさ)は、安土桃山時代武将

 
江馬 時政
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正13年(1585年
別名 通称:右馬助
氏族 江馬氏
父母 父:江馬輝盛
兄弟 女(金森可重室)、時政
なし
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略歴 編集

江馬氏桓武平氏経盛流を称する飛騨国国人勢力であり、飛騨北部に覇を唱えていた。

天正10年(1582年)、父の江馬輝盛八日町の戦い三木自綱小島時光に敗死すると[1]、姉小路氏の攻勢の前に江馬氏は一気に勢力を失い、時政は越中国に逃れた(越前大野を領していた金森長近を頼ったとも)。

天正13年(1585年)に金森長近率いる飛騨侵攻軍に加わり、戦功を挙げた。この戦いで父の仇の姉小路氏は滅び、江馬氏の旧領も長近軍の手に落ちたが、時政に江馬氏旧領が与えられることはなかった。これに不満を持った時政は、後に鍋山右近大夫広瀬宗直三木国綱らと共に兵を挙げた(三沢の乱)が、鎮圧され自害した。

脚注 編集

  1. ^ 大日本史料』第11編之2 821頁

出典 編集

  • 『飛州軍乱記』(江馬家滅亡之事)
  • 『飛州志』