池田 軌隆(いけだ のりたか、延宝8年8月5日1680年8月28日)- 享保5年3月4日1720年4月11日))は、岡山藩3代藩主池田綱政庶子。母は側室の菊野。通称は主膳。子は池田政晴池田輝言池田軌明一条兼香室智子。

延宝4年(1680年)、岡山で生まれる。多病を理由に嫡子とならなかったが、成人して子供も儲けている。綱政は病弱以外の理由で、軌隆を跡継ぎにすることを忌避していたと推測される[1]。享保5年(1720年)3月4日没。享年41。

長男政晴は生坂藩藩主池田輝録の養子となり、その家督を継いだ。次男輝言と三男軌明は鴨方藩藩主池田政倚の養子となるも、相次いで廃嫡となり家に戻った。軌明の子孫は岡山藩士となっている。娘の智子は綱政の養女となり、関白一条兼香に嫁いだ。

脚注編集

  1. ^ 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(吉川弘文館)p.34-39