時期からして白村江の戦いで倭国に亡命した渡来人の一人だと思われる。
『日本書紀』巻第二十九によると、天武天皇14年(685年)、仏教の在家信者(優婆塞)の益田金鐘とともに美濃(岐阜県南部)に派遣され、天皇の病を治療するために白朮(オケラ)を煎じた。これによって絁・綿・布をあたえられた[1]。同年11月、金鐘とともに10月に煎じた白朮の薬を献上している[2]。
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