浮田 秀律(うきた ひでなお、寛永15年(1638年) - 元禄2年10月21日1689年12月2日))は、江戸時代中期の人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。父は浮田秀継。子に秀真継治浮田次郎吉家の祖)、継善浮田小平治家の祖)。弟に藤松

生涯 編集

寛永15年(1638年)、浮田秀継宇喜多秀家の次男)の長男として生まれる。

父・秀継の通称は小平治であったが、秀律の通称である半平が浮田秀継家の当主の通称となった(小平治の通称は、弟継善が名乗る)。

元禄2年(1689年)に死去(戒名は、浄諦禅定門)。長男秀真が家督を継ぐ。

参考文献 編集