八丈島

東京、伊豆諸島の島

八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島火山島で、日本の気象庁によると火山活動度ランクCの活火山である。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。東京都心から南方287kmの海上にあり、行政区分は東京都八丈町である。自動車の登録は品川ナンバーである。くさや明日葉ハイビスカス島焼酎特産品で、1964年には富士箱根伊豆国立公園に指定された。

八丈島
Landsat Hachijojima Island.jpg
衛星写真(左は八丈小島)
所在地 日本の旗 日本東京都
所在海域 太平洋フィリピン海
所属諸島 伊豆諸島
座標 北緯33度06分34秒 東経139度47分29秒 / 北緯33.10944度 東経139.79139度 / 33.10944; 139.79139座標: 北緯33度06分34秒 東経139度47分29秒 / 北緯33.10944度 東経139.79139度 / 33.10944; 139.79139
面積 69.11 km²
海岸線長 58.91 km
最高標高 854.3 m
最高峰 八丈富士
Izu-Islands-Japanese-Map.png
Project.svgプロジェクト 地形
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八丈島
雨温図説明
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8
 
 
206
 
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8
 
 
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16
9
 
 
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19
13
 
 
257
 
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16
 
 
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254
 
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23
 
 
170
 
30
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361
 
28
22
 
 
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24
19
 
 
277
 
20
14
 
 
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16
10
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
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46
 
 
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14
 
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75
66
 
 
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58
 
 
7.9
 
60
50
気温(°F
総降水量(in)

地理編集

東京都の本州島側地域の南方海上287キロメートル、御蔵島の南南東方約75キロメートルにあり、東山(別名:三原山・標高701メートル)と西山(別名:八丈富士・標高854メートル)のふたつの火山が接合した北西-南東14キロメートル、北東-南西7.5キロメートルのひょうたん型をした島。面積は山手線の内側とほぼ同じ(面積の比較)。羽田空港から飛行機で片道55分で行けることと、沖縄と比べても安価な旅費で済むため、手軽なリゾート地として親しまれている。

 
地形図
上が西山(別名:八丈富士)
右が東山(別名:三原山)

富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、約4万年前にカメソウノ鼻火砕流、鴨川火砕流を噴出した噴火で山頂部に6×4.5kmの東山カルデラを形成したと考えられている。完新世内では約4千年前と約6.6千年前に規模の大きな噴火が発生している。最終噴火は有史以前であり歴史記録上の噴火はない。西山は数千年前から活動を始めた新しい火山で、山頂に直径約500メートルの火口がある。1487年12月、1518年2月、1522年 - 1523年1605年10月、1606年1月に噴火が記録されており、特に1606年の記録には、海底噴火によって火山島ができたとされる。なお、最後の噴火の記録については1605年といわれたり1606年といわれたり、多くの資料において統一がされておらず、また八丈島誌などには最後の噴火を富士山宝永噴火の1707年とする説もある。ただしこれについては伝聞などによる記録の為信憑性に疑問が残されている。

東山と西山の間にある低地には、20以上の側火山(寄生火山)があり、海岸近くには神止山などのマグマ水蒸気爆発による火砕丘がある。17世紀までに数回活動した記録があるが、規模は大きくなかったと考えられている。

気候は、暖流である黒潮の影響を受け、ケッペンの気候区分で言う所の温暖湿潤気候(Cfa)[1]となっている。年平均気温は17.8℃となっており、高温多湿。年間を通してが強く、が多いのが特徴。そのため、「常春の島」とも言われている。なお、雪は全く降らないというわけではなく数年に一度の頻度で降る[2]。東京都心から遥か南に存在するため常夏のイメージを持たれているが、八丈島の緯度は大分県大分市と殆ど同じ(北緯33度6分)であるため、ハワイ(北緯18度55分)や沖縄(北緯26度12分)よりも遥かに高緯度になり、常夏とは言い難い環境となっている。それでも日本で海外渡航が自由化された1964年においては、ハワイ旅行が当時の国家国務員大卒初任給(1万9100円)の19倍となる36万4000円と非常に敷居が高かった[3]ことに加え、当時は沖縄もアメリカ軍統治下にあったため、ハワイの代替として旅行先(特に新婚旅行)に選ばれることが多かった。


八丈島八丈町大賀郷(八丈島特別地域気象観測所、標高151m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 21.5
(70.7)
21.9
(71.4)
22.7
(72.9)
26.3
(79.3)
27.4
(81.3)
30.4
(86.7)
34.2
(93.6)
34.8
(94.6)
33.2
(91.8)
31.0
(87.8)
26.3
(79.3)
24.6
(76.3)
34.8
(94.6)
平均最高気温 °C°F 12.9
(55.2)
13.5
(56.3)
15.8
(60.4)
18.9
(66)
21.8
(71.2)
24.1
(75.4)
27.7
(81.9)
29.6
(85.3)
27.6
(81.7)
23.8
(74.8)
20.0
(68)
15.6
(60.1)
20.9
(69.6)
日平均気温 °C°F 10.1
(50.2)
10.4
(50.7)
12.5
(54.5)
15.8
(60.4)
18.8
(65.8)
21.3
(70.3)
25.2
(77.4)
26.5
(79.7)
24.5
(76.1)
21.0
(69.8)
16.9
(62.4)
12.7
(54.9)
18.0
(64.4)
平均最低気温 °C°F 7.6
(45.7)
7.5
(45.5)
9.3
(48.7)
12.9
(55.2)
16.2
(61.2)
19.4
(66.9)
23.3
(73.9)
24.3
(75.7)
22.3
(72.1)
18.7
(65.7)
14.2
(57.6)
9.9
(49.8)
15.5
(59.9)
最低気温記録 °C°F −1.8
(28.8)
−2.0
(28.4)
0.0
(32)
4.5
(40.1)
8.3
(46.9)
11.5
(52.7)
15.6
(60.1)
16.7
(62.1)
14.7
(58.5)
10.4
(50.7)
5.9
(42.6)
0.3
(32.5)
−2.0
(28.4)
降水量 mm (inch) 201.7
(7.941)
205.5
(8.091)
296.5
(11.673)
215.2
(8.472)
256.7
(10.106)
390.3
(15.366)
254.1
(10.004)
169.5
(6.673)
360.5
(14.193)
479.1
(18.862)
277.4
(10.921)
200.2
(7.882)
3,306.6
(130.181)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 16.3 15.5 17.9 14.1 14.1 16.9 12.0 12.1 16.7 17.8 15.2 16.0 184.7
湿度 68 69 71 77 84 91 92 87 86 82 74 69 79
平均月間日照時間 84.9 87.8 124.5 139.4 148.5 87.1 137.3 185.9 139.6 107.1 102.6 100.4 1,445
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1906年-現在)[4][5]


歴史編集

考古学的には、縄文時代に人が住んでいたことが、湯浜遺跡倉輪遺跡から確認されている[6]

律令制度においては、東海道駿河国に当初含まれていた。

平安時代伊豆大島流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説が残っている[注 1]。しかし、庶子であった二郎丸は生き延びのちに源頼朝より戦での功績として八丈島を領地として賜り、それから約1,000年、源為朝の子孫が暮らし続けているといわれている。八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関ヶ原の戦いに西軍石田三成方に属した宇喜多秀家である。

秀家の子孫は、秀家の正室であった豪姫の実家である加賀藩前田氏の援助を受けながら数家に分かれて存続し、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免された。赦免と同時に直系の者は島を離れて板橋宿の加賀藩下屋敷跡に土地を与えられて移住した。数年後には島へ戻った子孫の家系が現在も秀家の墓を守っている。

最後の流人(最後まで流刑状態にあった人物)は北方探検で知られる旗本近藤重蔵の嫡男、近藤富蔵である。1826年文政9年)に殺人を犯して八丈島に遠島となり50年以上もの間、島で流人としての日々を送った。1880年明治13年)にようやく明治政府により赦免。彼が流人生活の間に記した『八丈実記』(原字:八丈實記)は島の研究の資料として東京都文化財に指定されている。しかしこの八丈実記には、検証してみると島に残されている他の資料との相違点がいくつもあり、島の歴史を語る資料としては不適切であると唱える者もいる[7]

また、吉村昭の『漂流』は、野村長平鳥島への漂着者を題材にした小説だが、彼らが青ヶ島を経由して生還した地が八丈島であり、五か村四千戸が地役人を中心に統治され本土との連絡も緊密な様子が終盤に描写されている。

江戸時代には、たびたび飢饉にさらされ、特に明和年間の大飢饉では島全体で多くの餓死者が出たが、その中でも中之郷村内では実に733人の餓死者が発生、生き残ったのは400人足らずであった。この悲劇を伝える「明和飢饉餓死者冥福之碑」が中之郷地区に存在する。

1947年7月、安井誠一郎都知事が島内を視察。山羊の導入や開墾を伴う入植計画、サメ漁などの産業振興を提案。島は今に東京の宝島になるとして持ち上げた[8]

集落間で水争いや集落の境界の揉め事を竹槍で争う事件も起きた。この対立は、明治時代以降も三根村と大賀郷村との間に遺恨として残り、第二次世界大戦後も高校(明治大学付属八丈島高等学校東京都立園芸高等学校八丈分校)の誘致や中学校の建設などで競合が起こった。1954年、昭和の大合併の中、先行して三根村が八丈村へ合流すると、大賀郷村は最後まで合流に抵抗を示した[9]

戦後の八丈島は観光産業が発達し、1960年代には海外旅行(当時は沖縄も米軍統治下で海外渡航扱いであった)と比較して安価であることと温和な気候から、首都圏からの新婚旅行先としても人気が高かった。当時の八丈島は庶民の間で「日本のハワイ」と呼ばれていた。海外旅行の制限が廃止され、海外旅行が安価になり、本物のハワイが身近になり、沖縄も日本に返還された1970年代以降、観光客の入込数は減少傾向にある。ただし現在でも観光が島にとって重要産業であることに変わりはない。

島には廃墟化した当時の巨大ホテルが取り壊されずに残っており、当時の繁栄がうかがえる。現在営業している主要なホテルとしては「リードパークリゾート八丈島」「八丈ビューホテル」「リゾート・シーピロス」、民宿として「船見荘」「ガーデン荘」などがある。釣り人用の宿として「アサギク」などもある。

1971年、八丈富士を周回する都道(東京都道215号八丈循環線)の拡幅が、用地を地元が無償提供する条件で計画された。用地交渉にあたって地権者を調査すると1960年代のうちに土地の多くが売り払われており、400人の地権者の7割近くが島外者であったとの記録が残る[10]

1972年、島外の業者の手によりストリップ劇場が建設され始めたことが発覚(建築確認の段階では把握できなかった)。島内では市民団体「八丈島の明るい環境を守る会」が、島外では「東京都地域婦人団体連盟」などが強い反対運動を展開。八丈町役場側も水道水の給水を拒否する条例案を準備して対抗した[11][12]

かつては映画館ゲームセンターなど多数の娯楽施設も存在した。現在もパチンコ店ボウリング場(八丈町コミュニティセンター内)、カラオケ店ゴルフ場などが細々と営業を続けているが、何れも本州と比較して古びておりスケールも小さいものばかりである。また、現代に至るまで全日食チェーンヤマト運輸を除いて本州にあるような大手資本による店舗やサービスが一切無い(コンビニファストフードもない)ため、夜間営業を行わない個人営業の店で買い物をするしかなく、深夜には買い物自体が出来ない状況となっている(島内基準で営業時間を長めに取りコンビニを自称する店は存在する)。生活面で不便な反面、島民による自給自足が不可欠となり、地元の伝統的な素材を用いているため健康的でもある。

2020年、例年になく夏季の海水温が高い状態が続き、底土海水浴場を代表とするサンゴ礁が白化する事態が起きた。それから約半年の2021年5月現在、徐々に回復に向かっている様子が現地ダイバーによって確認されている。

太平洋戦争下の八丈島編集

太平洋戦争の際には、連合軍の南方からの侵攻に備えるべく、小笠原諸島が陥落した際の次なる防衛拠点とされていた。1945年春時点では民間人口を大きく上回る大日本帝国陸軍海軍の守備隊が配置されていた[13]。以下はその一覧である。[14]

陸軍編集

  • 独立混成第六七旅団及び司令部(浦一二三七八部隊)
  • 独立混成第四三連隊(浦七八三四上杉部隊)
  • 独立混成第十六連隊(淀六〇六四酒井部隊)
  • 第二警備司令部(東部二一六〇部隊)
  • 特設警備第五大隊(東部二一六九部隊)
  • 独立歩兵第四二五大隊(浦一〇二七六部隊)
  • 独立歩兵第四二六大隊(浦一〇二七七部隊)
  • 独立歩兵第六六八大隊(浦一四二三四部隊)
  • 独立歩兵第六六九大隊(浦三三六九部隊)
  • 独立工兵第六三大隊(基二八九三部隊)
  • 独立野砲兵第一二大隊(浦一四二〇七部隊)
  • 独立山砲兵第二三大隊(浦二八九二部隊)
  • 独立野戦重砲兵第一〇〇大隊(浦一三三五九部隊)
  • 独立速射砲第一五連隊(浦一二三七九部隊)
  • 独立機関銃第一六大隊(浦一五五七四部隊)
  • 独立速射砲第二四中隊(浦一四七九五二部隊)
  • 陸上勤務第一一二中隊(浦九七四九部隊)
  • 第三二航空情報隊(帥一九五〇部隊)
  • 独立野戦高射砲第五二中隊(東部二一七四部隊)
  • 野戦機関砲第五〇中隊(東部一九七一部隊)
  • 独立自動車二一九中隊(基二八五六部隊)
  • 独立重砲兵第四中隊(浦一三三六六部隊)
  • 特設第四一機関砲隊(浦二一八三部隊)
  • 特設第四二機関砲隊(浦二一八四部隊)
  • 第一移動兵器修理隊(浦一二三六四部隊)
  • 独立混成第六七旅団野戦病院(浦一二四三八部隊)
  • 暁部隊分遣隊
  • 憲兵隊分遣隊
  • 特殊(残置)任務小隊

海軍編集

 
現在も島内に残る、海軍通信隊のものといわれるコンクリート壕

東日本では唯一の回天基地も造られた。島の主要港である底土港の近くにはその回天の格納壕が残されており、内部には戦後の爆破処理による回天本体の破片が今も壁に突き刺さっている。

1944年7月以降、島民の本土疎開が進められて、人口の7割にあたる5,853人が、外国人疎開地に指定されていた長野県軽井沢町などに疎開したが、その途中で疎開船「東光丸」がアメリカ海軍潜水艦シードッグ」に撃沈されて、島民約60人を含む149人が死亡する事件も起きた。この事件をきっかけに「どうせ死ぬのなら故郷の島で」と、内地への疎開を拒む島民が数多くいたといわれている。島は空襲にもしばしばさらされ、滑走路や周辺施設への機銃掃射や爆弾投下により、守備隊側の戦死は数十名生じ、長楽寺への直撃弾など民間人の犠牲者として、11人が死傷した[15]

終戦後の昭和20年8月24日、野戦重砲兵部隊の藤井大隊長の総指揮のもと、島のあらゆる箇所の砲台で実弾を用いて「砲兵隊集中射撃」として大規模な射撃演習を行った。三原山腹から八丈富士山麓に向かって行われ、轟々たる砲弾の発射音・飛行音・炸裂音は真昼の夏空にこだまして、敗戦のうっぷんを晴らさんとするかのようであったという。人的損害があっては困るので、射撃方向には相当な気を使ったという。尚、島のめならべ(女性)たちは「せめてこの砲撃を、一度でも敵に向かって撃たせてやりたかった」と嘆いたという。

結局八丈島での地上戦闘は起こらなかったものの、「防衛道路」や「鉄壁山」などに防衛拠点化の跡が残っている。また、硫黄島の戦いの教訓を生かし、より強固で複雑に作られた洞窟陣地や、司令部壕が三原山や神止山など島の至るところに現在も残されており、島の小学校や中学校では平和学習の一環として、壕の入り口を見学することがある。過去には洞窟陣地内で転落による死亡事故も発生していることや、大半が私有地であるため、無断の立ち入りは禁止されている。

方言編集

上代東国方言の名残を残している独自の八丈方言を使用している。八丈島の方言は流人によって伝えられたものも多くあるが、くに(内地)から来た殿上人、宇喜多秀家ら主従の影響も強く残る。その多くは公家言葉を偲ばせるが、旧所領であった岡山の方言に通ずるものも少なくない。2009年国際連合教育科学文化機関から危機に瀕する言語と指定された。

行政機関編集

東京都八丈支庁
東京都教育庁八丈出張所
八丈島区検察庁
東京家庭裁判所八丈島出張所
八丈島簡易裁判所
警視庁八丈島警察署
  • 三根駐在所
  • 川向駐在所
  • 大賀郷駐在所
  • 樫立駐在所
  • 中之郷駐在所
  • 末吉駐在所
  • 空港警備派出所

交通編集

現在、本土との往来の手段として羽田空港からの航空路、もしくは竹芝桟橋からの海路となっている。いずれも毎日運航しているが、台風などの荒天により連続して欠航することもある。

空港編集

航空路編集

固定翼機

現在、全日本空輸 (ANA)羽田空港との直行便を1日3便運航している。しかし2020年12月現在、新型コロナウイルス感染拡大に伴う減便の影響を受け2便しか運航しない日もあるので注意が必要。

大島空港経由便は利用低迷を理由に2009年9月末で廃止され、羽田との便は1便減便された形となった。 2020年現在の使用機材はボーイング737-700,800型やエアバスA320といった単通路機である。かつては、エアーニッポンYS-11ボーイング737-200, 400, 500型機を運航していた。なお、ボーイング737-400型機の愛称はアイランドドルフィンで、八丈島路線のためにリース導入された機体であった。機体側面にイルカが描かれているのが特徴だった。

また、2005年10月より「東京国際空港線の運賃1割値下げ」を公約した八丈町長の浅沼道徳の念願が叶い、同年上期には片道あたり12,250~13,050円[16]だった運賃が条件付きで片道あたり10,200円[17]まで引き下げられた。条件は、半年間で1万人以上の利用者増というものであったが、これを達成し2006年4月以降も値下げ継続となった。その後は運賃の改定を繰り返して、2017年春ダイヤ現在は往復運賃の片道あたりの運賃は14,900~15,000円[18]となっている。

2017年9月1日からは、有人国境離島法により、航空運賃の軽減措置が実施されることとなり、2017年春ダイヤから往復運賃の片道あたりの運賃は14,900~15,000円であるところが、八丈町に住民登録をしている場合は片道13,790円[19]まで軽減されることとなった。通称「アイきっぷ」

2020年の新型コロナウイルス感染拡大に伴う減便の影響も受けており、一時期は3便あるうちの2つの便が欠航という時期もあった。これにより、郵便宅配便の配送日数にも影響が出た。

回転翼機(ヘリコプター)

伊豆諸島を結ぶヘリコミューターである東京愛らんどシャトルの拠点となっており、青ヶ島および御蔵島への路線が運航されている。

海路編集

 
底土港と八丈富士(西山)
(かめりあ丸船上より)

東海汽船貨客船さるびあ丸橘丸を、伊豆七島海運貨物船を定期運航している。主に島北東部の底土港へ着岸するが、時化で使用できない時は南西部の八重根港へ着岸する事もある[20][21]

竹芝桟橋小笠原諸島父島間にテクノスーパーライナーが就航した場合に、おがさわら丸を竹芝 - 八丈島航路向けに転用する、という計画があった。しかし2005年、小笠原航路へのテクノスーパーライナー導入計画そのものが、折からの原油価格高騰で廃止された。さらに、これを受けて東京都が代替策として、父島での空港建設の検討を進めており、おがさわら丸の八丈島航路転用計画は実質、頓挫した状態になっている。

温泉編集

温泉施設も多く入浴料も安いため、温泉目的で訪れる旅行客も多い。

  • ふれあいの湯
  • やすらぎの湯
  • 裏見ヶ滝温泉
  • ブルーポート・スパ・ザ・BOON(休業中)
  • みはらしの湯
  • 洞輪沢温泉
  • 足湯きらめき

海水浴場編集

火山島のため、溶岩を主体とした荒々しい岩場の海岸が多く、砂浜の海岸は少ない。唯一砂浜がある底土海水浴場が最も人気であり、他は監視員すら居らず閑散としている。

  • 底土海水浴場 - 島内でほぼ唯一の砂浜の海水浴場。透明度が高くシュノーケリング・ダイビングスポットとしても人気。また、海の家が唯一開設される。一般的なビーチの環境があるため、毎年沢山の人が遊泳する。沖縄やハワイなどとは異なり、溶岩を主体とした黒色の砂浜である。潮の流れが速いため、外洋に出ないように遊泳可能エリアを制限している。
  • 旧八重根 - 入り江の入り口に消波ブロックを設置した、タイドプール型の海水浴場。
  • ヤケンヶ浜 - 旧八重根の隣にある海水浴場。溶岩を主体とした入り組んだ岩場があり、海底が急に深くなるため、単なる海水浴よりも、シュノーケリングダイビングに向いている。
  • 神湊海水浴場 - 神湊漁港の隣にある小さな砂場と磯の海水浴場
  • 乙千代ヶ浜 - 2つの入り江と人工タイドプールがある海水浴場。潮流の速い外洋との境界が無いため、注意が必要である。
  • 藍ヶ江漁港 - 漁港の堤防内が、夏に海水浴場として開放される
  • 横間海水浴場 - 夏に海水浴場として、人工タイドプールが開放される

特産品編集

 
露地栽培されるシンノウヤシ。2017年11月八丈島三根地区。

その他編集

離島が舞台になっている映画やドラマのロケ地として使われることがたびたびあり、主な作品に、映画『処刑の島』、『サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜』、『バトル・ロワイアル』、『トリック劇場版2』、『るにん』、『今日も嫌がらせ弁当』、CMに『ペプシコーラ』桃太郎篇、『乳酸菌ショコラ』などがある。

作曲家の團伊玖磨は、この島の風土を気に入り、1963年に別荘(一度倒壊して、現存するものは2度目に建てられたものである)を建設し、毎年長期間に渡り滞在していた。八丈島での出来事は、連載随筆『パイプのけむり』などで記され、広く知られている。没後も團の名を被せたコンサートが開かれるなど、八丈島との縁は深い。

2015年ごろから11月~4月ごろになると周辺海域にザトウクジラが出現するようになり、陸からでもブローやブリーチングがじゅうぶんに目視できることも少なくない。小笠原諸島よりも気軽に行けるホエールウオッチングの場として島の内外へ徐々に知名度が上がっている。また、東京海洋大学などの研究チームもシーズンになると島に訪れ漁船などを用いて分布調査を行っている。

出身者編集

八丈島が舞台となっている作品編集

備考編集

  • 軍記物である『小田原北条記』巻五には、伊豆国の領土となった経緯を次のように記している。八丈島を発見したのは延徳年間(15世紀末)で、伊豆国加茂の住人の朝比奈六郎知明が島があるという噂を聞き、大船一艘に大勢で乗り、下田より出航し、島の民家に「永久に伊豆国の領域である」と申し渡し、北条早雲にこの件を報告したところ、喜んだ。そして褒美として下田郷を与えた。氏政の代で、岡江雪に島の統治が命ぜられたが、どうせ島の女と偏見を抱いていたところ、島民女性は色白で姿もあでやかで類稀だったので驚いたことが記述されている。
  • 『八丈島年代記』の記述では、明応7年(1498年)の明応地震の際、代官の長門路七郎左衛門が入部の途中、新島ナカクラにて地震津波に襲われ、船と荷物を失い、その時、水夫1人も死亡したと記録される(『八丈島年代記』においても「伊豆国八丈島」と記される)。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 為朝の八丈島での自害については、『保元物語』に記述がみられる。

出典編集

  1. ^ 気候:八丈町-気候グラフ、気温グラフ、雨温図, 水温八丈町 - Climate-Data.org”. ja.climate-data.org. 2020年9月27日閲覧。
  2. ^ 八丈島で降雪=東京から290キロ南 時事通信社(2018年1月26日)2018年1月26日閲覧
  3. ^ 50年前のハワイツアー、旅行代金はいくら? -海外渡航自由化50周年の歴史を読み解く(1)” (日本語). トラベルボイス. 2020年11月20日閲覧。
  4. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
  5. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
  6. ^ 八丈町公式サイト
  7. ^ 始祖伝説 問われる真偽南海タイムズ、2020年9月15日閲覧。
  8. ^ 「いまに東京の宝島 安井都知事ら八丈島を視察」『朝日新聞』昭和22年7月17日.2面
  9. ^ 「一つになれぬ八丈島 いがみあう二村 都も強硬手段か」『日本経済新聞』昭和30年1月31日
  10. ^ 「買い占められる八丈島 地価うなぎのぼり 道路改修もままならず」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日朝刊、24面
  11. ^ 「ストリップ汚染イヤ 劇場ができても給水はせんぞ」『朝日新聞』昭和47年(1972年)8月3日夕刊、9面
  12. ^ 東京地婦連60年のあゆみ(年表) (PDF)”. 東京都地域婦人団体連盟. 2020年9月6日閲覧。
  13. ^ 八丈町教育委員会編著『八丈町誌 改訂増補版』 (八丈町、1993年)257頁
  14. ^ 山田平右エ門 (2012年1月31日). 改訂版 八丈島の戦史. 郁朋社 
  15. ^ 八丈町教育委員会編著『八丈町誌 改訂増補版』 (八丈町、1993年)262-263頁
  16. ^ “運賃一覧(2005年4月1日~2005年9月30日搭乗分)” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/pr/05-0103/pdf/05-010-2.pdf 
  17. ^ “運賃一覧(2005年10月1日~2006年3月31日搭乗分)” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/pr/05-0709/pdf/05-104.pdf 
  18. ^ “2017年3月26日~2017年10月28日ご搭乗分 各種運賃一覧” (PDF) (プレスリリース), 全日本空輸, https://www.ana.co.jp/group/pr/pdf/20161222-2.pdf 
  19. ^ (PDF) 航空路旅客運賃の島民割引が始まります!, 東京都八丈町, http://www.town.hachijo.tokyo.jp/info/wp-content/uploads/2017/06/H290701.pdf 
  20. ^ 八丈島・青ヶ島へのアクセス,東京都総務局
  21. ^ 八丈島観光協会
  22. ^ 八丈島と、魔女の夏☆八丈島聖地巡礼においで! (1) 八丈島観光協会ブログ 2012年6月2日 2012年9月閲覧
  23. ^ 夏色キセキ☆八丈島聖地巡礼においで! (2) 八丈島観光協会ブログ 2012年6月11日 2012年9月閲覧

関連項目編集

外部リンク編集

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