浮田 継成(うきた つぐなり、生年不詳 - 寛政8年1月22日1796年3月1日))は、江戸時代後期の人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。通称は、久大夫。父は浮田秀玄。母は浮田正道の娘。子に継繁、紋次郎、サツヨ(継久の妻)。兄に秀誉

生涯 編集

浮田半平家の当主浮田秀玄の子として生まれる。

浮田次郎吉家の3代当主浮田継達の養子となり、明和4年(1767年)から明和6年(1769年)の間に家督を継ぐも、自らは久大夫と名乗り初代と称する。

寛政8年(1796年)に死去(戒名、量哲信士)。家督は、娘婿の継久浮田継暎の子)が継いだ。

参考文献 編集