淀川神社
淀川神社(よどがわじんじゃ)は、大阪市都島区毛馬町にある神社。1953年(昭和28年)に旧友渕村の氏神を祀っていた十五神社と旧毛馬村の氏神を祀っていた八幡大神宮(八幡神社)の神を合祀する形で十五神社の境内に設立された。
淀川神社 | |
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所在地 | 北緯34度43分5.5秒 東経135度31分16.6秒 / 北緯34.718194度 東経135.521278度座標: 北緯34度43分5.5秒 東経135度31分16.6秒 / 北緯34.718194度 東経135.521278度 |
主祭神 | 天照皇大神、八幡大神、春日大神、熊野大神、松尾大神ほか |
社格等 | 単立 |
例祭 | 例大祭(秋祭)10月21日・22日 |
歴史
編集十五神社、八幡大神宮ともに創建年代は不明であるが、平安時代初期に「毛志馬」や「鞆淵」などの地名が見られることから、その頃から氏神社として祀られたものではないかとされる[1]。当時、淀川河口の海賊を取り締まる為の役人が同地に配備され、彼らによって全国に名高い15柱の神々、十五神を祀った事から「十五神社」と呼ばれるようになったと伝えられている。
1909年(明治42年)6月1日、政府の命令により八幡大神宮は同区の櫻宮に、次いで11月22日には十五神社が旭区の大宮神社にそれぞれ合祀された[2][3]。それ以来、氏神がいなくなった両地域の住民から神社の復興を求める声が高まり、1953年(昭和28年)10月22日、社殿のみ残されていた旧十五神社の境内を利用して毛馬町、大東町、友渕町の総鎮守として再び十五神を大宮神社から勧請し、当社は再興された[4][5]。1959年(昭和34年)、単立宗教法人の承認を得た[1]。
与謝蕪村像
編集当社の本殿前には江戸時代の俳人、与謝蕪村の銅像がある。蕪村は毛馬村の有力者の家の生まれで、20歳になる前に村を出た。その後は江戸や京都に移り住み、一度も故郷に帰る事は無かったが、晩年、毛馬に帰省する少女を描いた俳詩「春風馬提曲」を作り、その中で「春風や 堤長ごうして 家遠し」という俳句を詠んでいる[5]。当社の蕪村像は大阪文化の活性化を目指すNPO法人により蕪村の生誕300年記念事業の一つとして発案され、神社との協力の元で設置。2016年(平成28年)1月23日に除幕式が開かれた[6][7]。銅像は高さ約65センチ、幅約70センチ。当社では2015年(平成27年)元日から俳句の奉納も行われている[5][8]。
祭神
編集境内
編集交通
編集- おおさか東線 「城北公園通駅」より西へ1.1km。
- Osaka Metro谷町線 「都島駅」より北へ1.3km、「天神橋筋六丁目駅」より北東へ1.5km。
- 大阪シティバス34号系統、57号系統 「毛馬橋」停留所すぐ。
脚注
編集- ^ a b 大阪府神道青年会 1971, p. 20.
- ^ 平凡社 1986, p. 622-623.
- ^ 都島区史 1993, p. 359.
- ^ 都島区史 1993, p. 359-360.
- ^ a b c 「蕪村の故郷で一句いかが 生誕300年へ、新年から「献句」 都島・淀川神社.『朝日新聞(大阪)』.2014年12月30日付朝刊、24面。
- ^ 「おかえり蕪村 戻らなかった出生地・都島に銅像 生誕300年、思いを後世に/大阪府」.『朝日新聞(大阪)』.2016年1月27日付朝刊、24面。
- ^ 「生誕300年 淀川神社に与謝蕪村像」.『産経新聞(大阪)』.2016年1月8日付朝刊、生活・文化面。
- ^ 「蕪村の氏神に俳句奉納 淀川神社、生誕200年を前に」.『産経新聞(大阪)』.2015年1月26日付朝刊、生活・文化面。
参考文献
編集- 『大阪府神社名鑑』大阪府神道青年会、1971年1月22日、20頁。
- 『日本歴史地名大系 第28巻 大阪府の地名』平凡社、1986年2月7日、622-623頁。
- 『都島区史』都島区制五十周年記念事業実行委員会、1993年4月1日、359-360頁。