清水一郎 (アナウンサー)

日本テレビアナウンサー

清水 一郎(しみず いちろう、1933年 - 1997年10月18日)は、元日本テレビアナウンサー。日本のプロレス実況の草分けの一人である。

しみず いちろう
清水 一郎
プロフィール
本名 清水 一郎
出身地 日本の旗 日本
生年月日 1933年
没年月日 1997年10月18日
職歴NTVアナウンサー
活動期間 1950年代 -
ジャンル 報道・スポーツなど
著名な家族 清水永二(ドラム奏者)
出演番組・活動
出演経歴 日本プロレス中継
全日本プロレス中継
ほか

経歴 編集

入社してまもなくプロレス中継に関わった。1957年10月7日、東京・後楽園球場での東富士豊登組対ダニー・ブレッチェスハロルド坂田組のタッグマッチでプロレス実況デビュー[1]徳光和夫佐土一正らと共に「日本プロレス中継」の実況を担当した。1972年に日本テレビでの日本プロレス中継が終了した後は、事実上の後続番組である「全日本プロレス中継」の実況を1978年まで務めた。

1997年10月18日に死去。享年64。

プロレス実況 編集

プロレス中継では、力道山最後のテレビ中継となったインターナショナル選手権試合、ザ・デストロイヤー戦の実況[2]、全盛期のジャイアント馬場の試合[3](対ザ・デストロイヤー戦)や、馬場とアントニオ猪木とのBI砲の試合、馬場がジャック・ブリスコからNWA世界ヘビー級王座を奪取した試合など、数々の激闘を実況した。解説者の芳の里山田隆とは長くコンビを組み、映像が多く現存している。東京プロレスより復帰したアントニオ猪木がメインエベンターで出始めた頃、実況で清水はアントニオ猪木と呼ばず、「猪木寛至」と本名で呼んだこともあった。

実況スタイルは独特のトーンで試合を淡々と、そしてシリアスに伝えるシンプルなものであった。このエッセンスは後続の多くの実況アナウンサーに受け継がれていった。

脚注 編集

  1. ^ この日のメインイベントは力道山対ルー・テーズの世界選手権試合第1戦で、清水のデビュー戦はそのセミファイナルの試合であった。
  2. ^ WA- Rikidozan vs The Destroyer Part 1 Youtube
  3. ^ JWA: Giant Baba vs. The Destroyer Youtube

関連項目 編集