渡辺 就国(わたなべ なりくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。

 
渡辺就国
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 文禄2年1月7日1593年2月8日
改名 元、就国
別名 新右衛門尉(通称)、肥後守受領名
主君 毛利元就輝元
氏族 源姓粟屋氏渡辺氏
父母 粟屋元国
渡辺広
兄弟 粟屋元堅就国
粟屋元充
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生涯 編集

毛利氏の譜代家臣・粟屋元国の三男として誕生し、渡辺広の養子となった。初めは渡辺元と名乗り、後に就国と改名した。

永禄3年(1560年)に行われた周防国山代地方検地で検地奉行を務めたほか、山代の宇佐・大原郷の草使に任命される。永禄8年(1565年12月18日石見国美濃郡において堂原8貫目、くの原7貫目、小多田名10貫目の合計25貫目の地が、元就から就国の次男・元充(当時は勝法)に給地として与えられた。

元亀3年(1572年)の毛利氏掟では、奉行人の下で日常の政務を行う番衆の一人として名を連ねている。

文禄2年(1593年)、死去。

出典 編集